『フーバー回想録』とTPP


TPPとは何ぞや?
それは姿形を変えた戦争です。

1941年、日本を滅ぼそうとしたF・ルーズベルトの描いたシナリオとTPPは外見は違いますが、中身は同じだからです。

下記は、F・ルーズベルトの犯罪 『フーバー回想録』を翻訳した中央大学客員教授 稲村公望氏の会見ですが、これだけでも当時と今の日本と米国との関係に照準を当て対比すると、TPPにはどんな目的が秘められているのかを理解できると思います。

無論、近衛内閣(1937年6月~1941年10月)のブレーンだった尾崎秀実はスパイであり、ソ連アメリカには日本の極秘情報は筒抜けだったのでした。

アメリカは、日本の暗号は日系人を組織し解読したと称していますが、恐らく、近衛内閣に奥深く入り込んだスパイにより、解読方法をアメリカに伝えたものと思われます。

なんとなれば、当時のアメリカ政府の要職に、ソ連のスパイが200人もおり、その代表的なスパイが、ハルノートで有名な国務長官ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)でしたから。

それほどまでに奥深くスパイは潜入していますから、今の日本でしたら、スパイが大手を降って政府の要職や外務省などの官僚に就いているのは当然でしょう。

それを念頭に置き、下記の応答分を読みましたら、現在の日本の置かれている状況がいかに危険なものか多少は理解できると思います。

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F・ルーズベルトの犯罪 『フーバー回想録』の衝撃 

『月間日本』の記事を転載

『Freedom Betrayed: Herbert』 
Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath 
『裏切られた自由』
ハーバート・フーヴァーの第二次世界大戦とその余波の秘史
ジョージ・ナッシュ氏が編集したフーバー大統領の回想録
(訳者)中央大学客員教授 稲村公望

ここには、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。
千頁近くにも及ぶこの大著をいち早く読破し、その重要性を指摘している稲村公望氏に聞いた。

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ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだ
―― 『Freedom Betrayed』のどこに注目すべきか。

稲村 フーバー大統領死去から実に四十七年の歳月を経て刊行
 
された同書は、フランクリン・ルーズベルト大統領を厳しく批判して
 
おり、同書の刊行はいわゆる「東京裁判史観」清算のきっかけに
 
なるほど重大な意味を持つ。
 

例えば、フーバーは回想録の中で、次のように書いている。

 「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日
 
の夕方に三時間、五日の夕方に一時間、そして、六日の朝に
 
一時間、サシで話した。(中略)
 

 私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人
 
ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサー
 
同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であった
 
ばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になった
 
としても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。
 
 

制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、
 
いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることでは
 
なかったと述べた」
 

 これまでも、チャールス・A・ビアード博士らが日米戦争の責任は
 
ルーズベルトにあると主張してきた。

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対日石油禁輸について、ルーズベルト大統領から意見を求められ
 
たスターク海軍作戦部長が「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピ
 
ンに対する攻撃を誘発し、直ちにアメリカを戦争に巻き込む結果に
 
なるだろう」と述べていた事実も明らかにされていた。
 

しかし、ビアードらの主張は「修正主義」として、アメリカの歴史学
 
界では無視されてきた。つまり、ルーズベルトの責任がフーバー
 
の口から語られたことに、重大な意味があるのだ。
 

 『フーバー回想録』には、対日経済制裁について次のように明確
 
に書かれている。
 

 「…ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、一九四一年七月、
 
つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一カ月後に、
 
日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。
 

その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争で
 
あった。
 

ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そん
 
な挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き
 
起こすことになると警告を受けていた」
 

天皇陛下の和平提案を退けたルーズベルト

―― まさに、ビアードらの主張を裏付けるものだ。
 
ルーズベルトは日本を無理やり戦争に引きずり込もうとした。
 
彼は真珠湾攻撃前から日本本土爆撃を計画していたともいう。
 

稲村 アラン・アームストロングは、『「幻」の日本爆撃計画―
 
真珠湾」に隠された真実』の中で、真珠湾攻撃の五カ月前に
 
ルーズベルトが日本爆撃計画を承認していたことを明らかにした。
 

その計画は「JB─355」と呼ばれるもので、大量の爆撃機とパイ
 
ロットを中国に送って、中国から日本本土を爆撃しようという計画
 
だった。
 

 『フーバー回想録』は、「スティムソンの日記が明らかにしたよう
 
に、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取ら
 
れるように挑発する方法を探していたのだ。
 
 

だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾
 
負けたのだ」と書き、ルーズベルトが近衛総理の和平提案受け入
 
れを拒否したことについては、次のように批判している。
 

 「近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの
 
目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、交渉し
 
て議論する余地を残していた。
 

皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題を
 
きっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと
 
思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと
 
考えることになるだろう」
 

 徳富蘇峰は、「日本が七重の膝を八重に折って、提携を迫るも、
 
昨年(昭和十六年)八月近衛首相が直接協商の為に洋上にて
 
出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない程であった。
 

而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を
 
作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。
 

而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずし
 
て立つに至らしめたのだ」(『東京日日新聞』一九四二年三月八
 
日付)と書いていたが、七十年という歳月を経て、ようやく『フーバ
 
ー回想録』によって、蘇峰の主張が裏付けられたのだ。
 

 フーバーは、さらに重大な事実を記録している。

 天皇陛下は、一九四一年十一月に駐日米国大使を通じて、
 
「三カ月間のスタンドスティル(冷却期間)をおく」との提案をされ
 
たが、ルーズベルトはこの提案をも拒否したと書いている。アメリ
 
カの軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルー
 
ズベルト大統領に促していたのだ。
 

 フーバーは、「日本は、ロシアが同盟関係にあったヒトラーを打倒
 
する可能性を警戒していたのである。
 

九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本
 
から〝全ての糊の部分〟を取り去ることになり、太平洋で戦争す
 
る必要をなくしたに違いない」とも書いている。
 

 当時、アメリカでは戦争への介入に反対する孤立主義的な世論
 
が強かった。ルーズベルトは欧州戦線に参戦するために、日本を
 
挑発し戦争に引きずり込んだのである。
 

日本国内にも日本を日米開戦に向かわせようとする工作員が入り
 
こんでいた。
 

実際、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国
 
内で諜報活動を行い、そのグループには近衛のブレーンだった
 
尾崎秀実もいた。


―― ルーズベルト自身、反日的思想を持っていたとも言われる。

稲村 彼は日系人の強制収容を行い、「日本人の頭蓋骨は白人
 
に比べ二千年遅れている」と周囲に語るなど、日本人への人種差
 
別的な嫌悪感を強く持っていたとも指摘されている。



(更に私見を述べると)
アメリカ人となっているユダヤ系の脳構造は分かり易いですね
同じことを繰り返すのです。
例えば、今の北朝鮮、経済封鎖ですね。
これ、大東亜戦争(太平洋戦争)直前の日本と同じ状況ですね。
北朝鮮から戦争を仕掛けさせるための策略ですね。


(MAP画像借用先)