ある地域特性とは


1997年(平成9年)の頃のことです。

国家公務員を管理職で60歳定年前に早期退職をし、天下りを二つこなしてリタイアなのですが、猶も働きたいという方がいまして、会いに九州に飛びました。

初回面談では、給与面や労働条件など話し合いました。その内容を本省に報告し、了解をとってからの二回目訪問では、労働契約書に調印をしてもらいました。

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その時、彼は私に是非、自分の住んでいる集落に来て欲しいというのです。

そこで、彼の車に乗り、田んぼの中で高架(高速道路?新幹線?)の工事中の下をくぐり、棚田を上がるとそこは二十軒前後の集落でした

彼は現職時代、九州管内を転勤し回り、退職後は静かな農村地帯に住みたいと思い、50歳頃に人を介して、ある集落の端にある古民家を買取り、退職時にそれを壊して新築しました。

無論、土地を購入した時も、家を新築する時も、新たに住む時も、その集落全世帯に挨拶に行ったのです。

そして退職後、そこに住み始めたものの、村の中でどんな行事があろうとも、連絡一つ無いそうです。

完全に村八分にされたと言っていましたね。
奥様の嘆きはいくばかりか・・・でした。

その時、私は二つのことを言って彼ら夫婦を慰めました。

一つは、今、NHK大河ドラマ八重の桜で舞台になっている会津若松です。
このエリア担当の営業員の要請で、新幹線郡山駅まで迎えにきてもらい、何度か訪問したことがあるのです。

この市内の○立病院が、入札を行い、我が社の取引先が落札したのです。
その中に、我が社の機器も1700万円ほど入っていました。

処が、納期が迫った一ヶ月弱前、組立工場が放火にあい、ボヤを出しました。
被害は少なさそうに見えましたが、実は、そうではなかったのです。

組立中の機器も、その部材を保管してある倉庫も熱を浴び、プラスチックの成形部品が全て微妙に変形したのです。

当然、使い物になりません。
それに、当時は生産が追いつかない程で、人気機種の在庫はありません。

新たに部品を作らなければならないのですが、部品は何種類もあります。
部品ごと、下請け数社にプラスチックのパウダー(粉末)を手配し、成形させ、それらを集めて組み立てるには、どんなに急いでも三ヶ月を要します。

そこで、関係官庁と病院長、担当部署部長(女性)に許可をとり、別の機種でその三ヶ月間を対応してもらうことにしました。別の機種とは、寸法の若干異なる新台です。

そしてその代替機を一旦納入したのですが、それからが大変でした。
実は、担当部署長(女性)も部下達(女性)も、地元の医療機器会社が扱っている他社の機器を欲しがっていたのでした。

そこで、彼女達のしたことは、組織ぐるみで代替機を蹴ったり何かをぶつけたりは無論のこと、とにもかくにも正常に作動しないようにしたのです。

その都度、営業員が呼ばれるのですが、理不尽で且つ口から泡を吹かんばかりの女性部長には現地所長では手に負えなく、私が東京から何度か訪問しました。

このような状況では、改めて新台を納入したとしても、到底対応できるものではありませんので、落札した業者と話し合い、我が社が身を引くことにしました。

我が社の損失は一千万円弱。
引き揚げてきた機器は、他の病院に事情を話し、格安で買ってもらいました。

然し、病院では、特定業者と癒着していますから、公開入札で別の業者が落札した場合、このような嫌がらせはよくあることです。

このエリアのことは、噂では聞いていましたが、他所者に対してこれほどまでとは思ってもいませんでした。これもローカル特徴ですね。今はどうかは知りませんが。


もう一つの話は、京都のことです。

京都洛中に住み、住民と認められるには10年かかるというものです。
これは、昭和40年代では常識でした。今もそうでしょうね。

その昔、京都の街は都で、木曽義仲のように、今日の天下人は、明日は追われる身ですから、他所者をおいそれと歓迎はできないというのが理由の一つでした。
それと、洛中の特徴として、町家は借家が多いのですね。

私も、京都の町家の住民と親しくなり、部屋にあがってお茶を飲むことができるようになるまで、凡そ、10年かかりました。若い時ですから、長かったですね。

この二つの話をして、この夫婦には、新興住宅ならいざ知らず、恐らく平安時代以前からの歴史をもつ村人達と付き合ってもらうためには、少なくても十年はかかることを理解してもらいました。

彼らの答えは、「はぁ~」という溜め息でした。



(書庫)
私の履歴書:50代東京編 目次

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