ハチ公像:あれから50年弱


先日、かって東京で四年間も住みながら渋谷駅の忠犬ハチ公銅像を見たことがないという御仁が二人もいまして、そこでハチ公像に案内しました。

そういえば、私も東京には二度の勤務で計8年半いたのですが、この期間、ハチ公口前の営団地下鉄半蔵門線の乗降でここを何度も利用しているのに、一度もハチ公を見たことは無かったのです。現役時代ってそういうものですね。

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今回、改めてハチ公像とご対面したのですが、47年ぶりになりますね。
このハチ公像といえば、私なりの思い出がありました。


最初の大学を辞めてから二年後の昭和41年(1966)、東京に住む昔の同級生(女性)へ京都から手紙を出しました。会いたい旨の内容で。

彼女が中学二年の時、転校していってからの四年間(中2~高3)文通をしていましたが、この期間というと、私の反抗期でもあり、私の苦しい心情を彼女に打ち明けたりしていました。

当時、彼女にとっては迷惑な話だったでしょうね。
時間が経ち過ぎましたが、それを直接会ってお詫びするのが私の目的でした。

彼女から、日時指定の返信がきて、東京に出かけました。

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当時(1966年)は、新幹線が東京⇔京都間を3時間で走っていましたが、新幹線代金は片道2400円ほどなので、僅かなバイト代では大きな出費です。

在来の急行で行きましたね急行料金は400円(?)程でしたから。
当時、何本か昼に走っている在来特急・急行の中で一番早い7時間少々ので。

(参考)東京⇔大阪 「超特急ひかり」 超特料1300+運賃1180=2480円
(参考)1964年当時の物価:白米(10 kg)975円,そば50円,山手線初乗10円,京都市電15円、大工の手間賃1800円,教員の初任給16300円.
(参考)1966年(昭和41年)国家公務員(甲種)初任給23300円。

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待ち合わせ場所は、渋谷駅の忠犬ハチ公前広場。
7年ぶりの再会でした。
やはり、きれいになっていましたね。

そこから道元坂下の不二家渋谷店へ。

東京都渋谷区宇田川町26-3 サンルイビル2F
(注)下記画像右側の階段を上る。



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この時の様子は、私のブログに書いています。
不二家はどうなるのだろうか』 2007.01.16

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二回目の待ち合わせ時間は、夕闇時。
無論、待ち合わせ場所は、渋谷駅忠犬ハチ公前広場。

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当時の渋谷は中年の街で、広場は暗く、今みたいな活気はなかったですね。
但し、この広場では沢山の老若男女がデートの待ち合わせをしている。
そんな中、果たして見つかるかどうか不安でした。

不思議なものですね。
宵闇の中、沢山の人で混雑していて、発見は困難と思うも、何故か彼女だけが白く輝いていて、直ぐに発見できたのですから。

この時は、居酒屋に行ったはずです。

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三回目は、予め、新宿通りの伊勢丹に行き、1Fの女性店員のアドバイスで蓋がカメオの銀製(スターリングシルバー)コンパクトを買い、彼女に贈りました。

(注)イメージは右のようなもので、銀細工の模様が施されており、真ん中にはカメオが埋められていました。右下のブローチのイメージに近いでしょうか。



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その後、何度か彼女から電話が掛かって来たのですが、私、不在が多く、それに彼女が要望する次の会う日時は都合が悪かったりの連続でしたね。

彼女は、自宅で朝と夜、365日、手を離せない事情があり、それに一種の遠距離交際ですから、このまま継続するのは困難でした。


彼女と会ったのは、この渋谷で会った三度だけでした。
彼女と渋谷の街を歩くのに、肩に手を回しましたが、手を握ったことはなかったですね。

その後、詳細はさておいて、故あって東京駅で彼女の母親と一度会いました。
それが最後となりましたね。

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それから6~7年後、この話をマンマにしたら、カメオを欲しがりましたね。
私 『欲しかったら自分で買いなさい』

以後、私、マンマにカメオを買ったのが、三十年後ですね。

     忠犬ハチ公銅像にちなんでの、つまらん話はこれでおしまい。

      
(画像借用先)
不二家渋谷店の画像
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