辛かったことを話せない理由


きらきらさんとこのご両親は学童疎開をしたけど、その体験談を語らなかった!
私は、お嬢さんには悲しい思いをさせたくないから話さないと思っていました。



と言うのも、私の小学校低学年時代、村の神社でいつもたむろしている二人の兵隊上がりの人から南方での戦場の凄惨さを聞いていたから、このような体験は誰にでも話せるものと思ったからでした。

(参考)私のブログ記事「初めてお酒に酔った日」 2007.10.09

それは、どうやら私の間違いだったようです。
話せないというよりも話したくないのですね。

昔の恐怖や悲惨なこと、辛苦に耐えないことなどは、話したくないのです。
思い出したく無いのです。

ある事態の体験後、その時の様子が夢に出てきてうなされる!
或いは、その時に似たような事態や音だけでも、あの時の恐怖が蘇る!

トラウマになっており、或いはPTSD(心理外傷後ストレス障害)になっている。
そのトラウマがトラウマでなくなるまでは、数十年かかるようです。

人によって、或いはその事態の度合いによって違うと思うのですが、生死がかかった恐怖の場合、40年から50年もかかる!

だから10年後や20年後では話さないのです。

但し、話す場合があります。
それは、その事態を問われた場合ですね。

秘めているのが苦しくなった場合ですね。
そのことを話をしたら、楽になる場合があるようです。

それで分かったことがあります。
確か私が九歳の時、人影の無い山の神社の軒下の板の間に、兵隊上がりの痩せた農家の男二人がいつも放心したように腰掛けていていました。

私たちは、彼らに戦争中の話を聞かせてとお願いしました。
一度目は、南方のジャングルでの戦いの苦しさについてでした。

次回会った時も戦争の話をお願いしました。
三度目のときでしょうか、彼らは人肉を食べた話をしたのでした。


その話は、同席していた村の子供たちによって、一気に村中に広がりました。


一週間後ほどでしょうか。父と村の者が我が家で酒を飲んでいたとき、「AさんとBさんは、人肉を食べたんだって!」と驚いた口調で話をしていました。

その時、私は、「それは神社での話ですよ」 とその時の話をした記憶があります。

村人は「噂では聞いていたけど、南方の状況はそれほどひどかったのか!」とか、
「よくぞ生きて帰ってこられました!」 と驚嘆の言葉が彼らかけたでしょうね。

それで彼らは少しは楽になったのかもしれませんね。

然し、私たちが戦争の話を聞かなかったら、彼らは、墓場まで、そのことを持っていったでしょうね。