日系人強制収容所とFEMA
★
★
日本人社会での何らかのリーダーは、瞬く間に日本人社会から消える。
男性達は予告なしに連行されたから、家族は何故消えたのかを知らず。この逮捕者の大半は密かに全国の刑務所に移送される。
FBIは、抑制策として、彼らの銀行口座の凍結、密輸の押収、旅行制限、夜間外出禁止令、その他のことでも徹底的に制限した。
家族がそれを知ったのは、数年後。
Colonel Karl Bendetsen, who directly administered the program, declared: "I am determined that if they have one drop of Japanese blood in them, they must go to camp."
「日本人の血を一滴でも持って居る場合、彼らはキャンプに行かなければならない」
砂漠や荒野の中とか、人里から程遠い場所で、バスや汽車で日系人は輸送されました。
In some assembly areas, families were assigned to rudely converted horse stables where the stench became oppressive in the summer heat.
いくつかの集合区域で、家族は、粗雑に変換された競走馬飼育訓練場を割り当てられました。そこでは夏の暑さで耐え難き悪臭が漂います。
ただ一つの備品は、収容者が自分が組立出来る家具を除いて、ぶら下がった電球だけでした。
The only fixture was a hanging light bulb, except for whatever furniture the inmates could construct for themselves.
ある収容所では収容者数十人は撃たれ負傷。8人は警備人によって殺されました。更に、日本人は理由もなく時々残酷に殴られ重傷を負いました。ツールレイクキャンプでは、警備員がバットで受刑者を殴りました。
驚くべきことは、日系人を強制収容することを強烈に支持したのが、アール・ウォーレン氏。
リベラルとして名声を博していた彼は、日本人を根絶し、監禁すべしという国民感情を主導。
彼は、外国人嫌いの組織「金色のウェストの土地っ子」の顕著なメンバーでした
「土地っ子」は「黄色の日本人の平和な侵入者およびそれらの白い日本の共謀者からカリフォルニアを保存する」ために働きました。
ウォレンの弁護士としての驚愕の論理では、日本人がここまで不忠実な行為を犯していなかったというまさにこの事実が、今後反米破壊活動を行う意図だった証明であると主張しました。
ツールレーク収容所
厳寒地だが、断熱材はコールタール紙を外壁板に貼っただけ。
それも縮んでいる。
14戸の建物のブロックの中心にあった非加熱の便所に到着するために、居住の仮小屋を出てから雨や雪の中を歩いていかなければなりませんでした。
(写真)外部との面談日。
この提唱は、自由と民主主義を守ることで知られているある著名な男の提唱によるものでした。
★
(私見)
米国の唱える自由と民主主義とは、白人社会にだけに通用するものですね。
何となれば、敵国であったドイツ人やイタリア人やその二世は、このような強制収容所に一切収監されることは無かったのですから。
★
(注)戦後、収容所から解放された日本国籍の日本人の90%は、日本に帰国した。全財産を奪われたから、生活が出来なかった故。
(※)
安倍:日本版FEMA
(参考)
FEMAとは、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁の略称
(Federal Emergency Management Agency of the United States)
(記事抜粋先文献)
『World War II West Coast Camps for Japanese-Americans』
From The Journal of Historical Review , Spring 1981 (Vol. 2, No. 1), pages 45-58.
(画像借用先ユーチューブ』
(参考)
山崎豊子著「二つの祖国」
映画「二つの祖国で・日系陸軍情報部」予告編