戯曲『ヴェニスの商人』とTPP


娘が札幌市立中学を卒業し、大阪府立高校に入学して数ヶ月経過した頃、娘は妻にこんな話をしていました。

「大阪の人は他人の心情などお構いなしに笑いをとる。例えばグループの誰かの失敗や癖や欠点を指摘して全員で笑う。然も、指摘された本人も一緒になって笑う」

それを聞いて、喜・怒・哀・楽は表裏一体のものと思いましたね。

そう言えば私も一泊二日の講習会開催での夕食を宴会にし、いかに全員を笑わせるか、楽しいと思わせるかで使った笑いの手法が前記の内容に近いものでした。

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この時ふと思ったのが、シェックスピアの喜劇「ヴェニスの商人」は、実は悲劇ではないかということでした。

ヴェニスの商人の粗筋を何故知っているかと言いますと、私が小学一年の時、小学六年の長兄が学芸会でアントニーオ役を演じたからでした。

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兄貴が演じたその劇の記憶にある場面

金を借りた友人の連帯保証人となったローマ人でヴェニスの商人アントニーオは、三ヶ月以内に借金を返せず、その際の条件となっていた彼の心臓の肉一ポンドを、ユダヤ人の金貸しシャイロックに切り取らせるために法廷で胸をはだけます。

傍でシャイロックは、長いナイフを研ぐ。

そこでの判決とは 
「心臓の肉一ポンドを切り取ってもいいが、血を一滴も流してはいけない」
結果、シャイロックは原告人から一転して刑事被告人になり敗北する。  

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以上が、私の記憶に残る劇の内容。

当時、差別されていたユダヤ人には職業の選択はなく、卑下されていた金利付き金融業のみ。この戯曲でもローマ人アントニーオから、ユダヤシャイロックは唾を吐かれてている。

この戯曲は、シェックスピアの所属する国王一座The King's Menで1604年11月~翌年2月に二度公演される。
以降、世界で公演される。

日本でも、川上音二郎一座が19世紀末米国や欧州に赴き、各地で「ヴェニスの商人」を演じ、大評判を博したと言われている。



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この戯曲『ヴェニスの商人』の解釈には色々ある
ウイキペディアでは、

執筆当時はただの喜劇として見られていたが、ハイネは「シャイロックの悲劇」と呼び、観劇中後ろで涙を流している女性を見たという逸話が残る。又、特に第二次世界大戦後、劇中の第3幕第1場でシャイロックが、
 
ユダヤ人は目なし、手なし、臓腑なし、感覚・感情・情熱、すべて無し。何もかもキリスト教徒とは違うとでも言うのかな? 
毒を飲まされても死なない、だからひどい目にあわされても仕返しはするな、そうおっしゃるんですかい? 

だが、他の事があんた方(キリスト教徒)と同じなら、その点だって同じだろうぜ。キリスト教徒がユダヤ人にひどい目にあわされたら、(右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという)御自慢の温情はなんと言いますかな? 仕返しと来る。

それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ」
福田恒存訳 新潮文庫版を基に要約
と言ったのを捉え、民族差別問題と関連させる見方も増えている。
後述する映画などでは、その様な背景からそれまでただの悪人と見られていたシャイロックに対して、同情的な見解を見せる場面も増えた。

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ヴェニスの商人The Merchant of Venice、1596年 - 1597年)


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この戯曲は

ユダヤ人であるシャイロックキリスト教徒に対するむき出しの憎悪が表されているといえる。

シャイロックが「慈悲」とは対極的な人間であることを浮き彫りにしているわけである。これから起こるどんでん返しの準備が着々と進められているといえる

シャイロックは原告から一転して刑事被告人になってしまった。
シャイロックの完全なる「敗北」、アントーニオの、否、ポーシャの見事な「勝利」?

然し、あくまでも証文の書類上の不備にシャイロックは負けたがゆえに論理で勝利し、アントーニオは勝利したがゆえに論理では敗北していた

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以下の視点も

「世間論」の提唱者である阿部謹也氏は、以下のように述べている。

「明治時代に我が国は国を挙げて欧化政策に取りかかるしかなかったのである。しかし、欧化といってもそれは法律や行政機構、産業、教育制度などに限定され、人と人の関係のあり方にまではとうてい及ぶものではなかった。....

人間関係については従来の形を残すことになった。....従来の人と人のあり方とは一言でいえば「世間」ことであり、「世間」が生き残ったということなのである。」(阿部[1997]13-14頁)

日本社会は、いわゆる「社会」ではなく「世間」の論理で成立しており、日本人はその中で生きてきたという。

そして、明治以降に欧化政策、すなわち近代化政策を導入したが、そうした点は何ら変わっていない、人間関係に関しては「世間」が生き残ったというわけである。阿部氏はこの「社会」と「世間」に関して以下のように特徴づけている。

「「社会」はいわば近代的な用語の世界であり、貨幣経済を軸とする表向きの構造をもっている。他方で「世間」は主として対人関係の中にあり、そこでは貨幣経済ではなく、贈与・互酬の原理が主たる構造をなしている」(阿部[1999a]10頁)

ここでさらにイメージを膨らませるために、いくつかのキーワードをあげてみよう。

わゆる「社会」の論理に繋がるキーワードは、たとえば、近代、資本主義、商品関係、個人、競争、法律、契約....等々であり、

「世間」のそれは、非近代、非資本主義、人格関係、共同体、協調、縁故、慈悲、友愛....等々ということになろう。

いうまでもなく、アントーニオたちの掲げた友情や慈悲といった原理はここでの「世間」のそれに相当し、それに対してシャイロックの主張する法や契約の絶対性の原理はここでの「社会」のそれに相当する。

ヴェニスの商人の世間論』より

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私見

一旦は喜劇ではなく悲劇と思いましたが、色々と調べていくうちに、これは喜劇でもなく悲劇でもないですね。

不思議なことに、当初、この戯曲をユダヤ人を狡猾と看做し卑下した差別的なものと思っていましたが、そう考えると、何故に継続して上演されてきたのか?

彼等の富と政治力からすると、この戯曲の上演を禁止することぐらい朝飯前ではないか? それが映画にもなっている。

では一体何故?

私は心理学とは無縁だが、世界的にこの戯曲が上演されることにより、彼等を虐げたローマ人への復讐から、欧州人、更には世界の人々への復讐を誓う強烈な裏付けとなっているのではなかろうか。

そう考えると、世界人口の9割減、TPPによる国家解体や食糧危機の演出、ワクチンによる断種、抗がん剤による激痛・悶え死などが一連のこととしてつながる。

もう一度、シェックスピアの『ヴェニスの商人』の中の一文を抜粋する。
 

 
『それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ』

これは数世紀にも亘り虐げられきた民族しか分からない心情ではなかろうか。
ある意味で、戯曲『ヴェニスの商人』とは、世界に対しての宣戦布告でもある。

下記、『秦野エイト会』の記事をみると、それが納得できる。

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ロスチャイルド一族の世界支配
ロスチャイルド一族が世界を支配していると言っても、ほとんどの人は「そんなバカな」とか 「くだらない陰謀論だ」と思うことだろう。
その原因は、ほとんどの人が「おカネのことを知らない」ためだと思われる。
「おカネのことぐらい知ってるよ」と思われることだろう。 しかし、本当におカネの仕組みを理解している人は、この世にほとんどいないのが実状らしい。

【金融の歴史】
ユダヤ人の迫害から生まれた
国際的な金融システムをつくりあげたのはユダヤ人でした。 昔のヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ教徒は“キリストを十字架にかけて殺した罪人”として 迫害されていました。
ほとんどの職業に就くことが禁止され、土地を持つことも制限されたため、農業を行うこともできませんでした。
唯一の許された職業が、キリスト教徒から忌み嫌われた利子を取り扱う職業=高利貸し(質屋)や金塊の保管人、 両替商(貿易決済業)などでした。
当時、ユダヤ教キリスト教イスラム教も、利子の徴収は原則として禁じられていたのです。 利子を取ることの弊害を経験的に知っていたのでしょう。
しかし、ユダヤ教は例外として、異教徒から利子を取ることは許されていたのです。

●金融業はユダヤ人の専売特許
中世になってルネサンス宗教改革が起こり、政治と宗教が分離され、 キリスト教会から国王に司法権が移り、その後、 フランス革命などを経て国民が力を持つようになりました。
教会は国民の経済活動に口が出せなくなり、利子を取ることは罪悪ではなくなりました。
ところが、それまで利子は罪悪だっただけに、金融の技術を持っていたのは、 ユダヤ人だけだったのです。

ユダヤ人の移住が為替技術を発達
中世には、弾圧を受けたユダヤ人の移住が何回も起こりました。
ユダヤ人の金融家は、この離散状態を生かし、貿易決済業にたずさわるようになり、 為替技術を発達させます。
また、保険業や、事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方も生み出します。
ユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることもあったので、 ユダヤ人にとって記名型の証券は安全ではありませんでした。
そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券である銀行券を発行・流通させる銀行を ヨーロッパ各地で運営していました。
この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行をつくり、紙幣を発行する際に用いられます。

ロスチャイルド家の人々が金融業の代表
このように、現在の金融業は、ユダヤ人の迫害の歴史から生まれてきたともいえる技術なのです。
ユダヤ人は自らの構築した金融システムのノウハウを積極的に提供していきました。
それが、産業革命という時代の波にのり、資本主義を世界に広めていくことにつながります。
産業振興や、市場獲得のための侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、 ヨーロッパの各国の王室にとって“なくてはならない存在”となり、国家財政や金融政策を担うようになりました。
その中でも最も影響力を持った存在、それがロスチャイルド家の人々でした。

                       以上で抜粋おわり


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(参考)
私の数日前の記事 『日本植民地化の序 明治維新
ロスチャイルド財閥により、明治維新は起きた