鳴霞(めいか)女史から学ぶ近代史

 
私たちが習わなかった近代史。
今回は、鳴霞(めいか)女史の一種の回想記からの一部抜粋です。
 
参考)
鳴霞女史に関しては以前の私のブログで紹介していましたね。
1957年中国遼寧省瀋陽市(旧奉天市)生まれ。元中国共産党のエリート。
私のブログ記事 『平和ボケした日本に起きていること 
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南京大虐殺天安門事件も、歴史の真実は全て日本で学んだ』
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私は瀋陽に生れました。幼少の頃は、両親の仕事の関係で、小学校2年まで祖父母に育てられました。
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祖父は旧満州で日本軍が関係する会社と付き合いがあり、常日頃「日本軍人は親切で礼儀正しい」「日本人は約束を守る」と言っていました。
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また、祖父母は、私に「君子」という日本風の名前をつけ家の中ではその名前で呼ばれていました。
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私は絵が得意なこともあって、中学入学と同時に共産主義青年団(共青団)に入りました。共青団胡錦濤国家主席もその出身であることからも分かるように、中学生から成人(中国では18歳)して共産党に入るまでの青少年エリートが入るものです。
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普通はクラスの半数以上の推薦が必要ですが、私は幸運にも学校推薦で入ることができました。
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当時、1972年の日中共同宣言が締結された頃で、資本主義帝国批判の流れの中で日本批判はありましたが、全体的には親日な報道で溢れていました。
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逆に、当時使用した歴史教科書はソ連との対立からソ連批判一色で「南京大虐殺」などの日本批判はありませんでした。私は共青団ソ連批判の絵とスローガンを描いていたのです。
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高校に入ってからも、歴史教科書には「南京大虐殺」などの記述はありませんでした。高校では、母の勧めもあり外国語の選択を英語から日本語に選択変更したこともあったほどです。
高校卒業と同時に文化大革命の政策で東北部の農村に「下放」されました
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下放された農村での過酷な生活はいまでも忘れません。早朝4時半起床。暗くなるまで重労働の日々でした。冬は零下30度の中で家畜の糞で堆肥作りなど奴隷のような毎日でした。
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1979年に文革が終わるまでこのような生活が5年間続きました。
この間10人一室の共同生活で風呂は入ったことがなく、体を拭く程度でした。
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今回の「反日暴動」は20代、30代の若い世代が中心となって巻き起こりましたが、その親の世代は李外相も含めて紅衛兵で活躍した世代です。
それが分かれば少しは今回の暴動が理解して頂けるのではないでしょうか。
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私は日本語専門学校卒業後の1982年に共青団を脱退し来日しました。
共産党体制下での下放生活と日本への憧れで、私には何の迷いもありませんでした。
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当時、私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。
1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと大々的に報道することに違和感を持ち朝日購読をやめました
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なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でもメディアでも見聞したことがなかったからです。
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来日して「南京事件」について論争があることを知り、知人から「南京事件日本人48人の証言ー阿羅健一著」を薦められて読んで、当時の南京で「虐殺」が起こりうる状況でなかったことを知りました。
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また「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの「戦争とは何かー1938年ーが国民党の宣伝文書であったことが国民党の公式史料で判明したことなどで、私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
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かって私は中学の歴史教科書で「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。今、共産党政府が「日本軍による30万人虐殺」を宣伝しているのはこれと全く同じ根拠のない政治宣伝なのです。「731部隊」「従軍慰安婦」なども私は学んだこともなく、全て政治キャンペーンでしょう。
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朝日新聞の記事は祖父母から聞かされた日本軍と全く異なります。
むしろ「人民日報」より反日的です。
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そんなこともあり、私は中国の真実を伝えるために「月刊中国」(2002年発刊)という新聞を日本で発行しています。発刊当時、さまざまな妨害を受けましたが、兵庫県警の外事課が警備してくれています。
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90年代に来日した祖父は、着いたその日の夕方、家の外に置いてあった空き瓶や空き缶を家の中に入れようとしました。
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私は「ここは日本だからそんなことをする必要はない」と言いました。
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そして滞在中、外に置いてあるものが何一つ盗まれないことが分かった祖父は「なんと素晴らしいことだ。あの当時の秩序の良さを思いだしたよ。日本があのまま満州にいてくれたらどんなに立派な国になつていただろうか」と、とても懐かしんでいました。
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一昨年秋、「文化大革命の大虐殺」の著者、宋永毅先生が米国から来日した際、宋先生と靖国神社に参拝しました。
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宋先生は、自然と人間の魂が調和している靖国神社を「素晴らしい大和魂」と絶賛しました。私も、古代中国の仏教建築を彷彿とさせる靖国神社の清潔に聳え立つ姿を前にして凛とした神聖な気持になりました。社頭で手と口を清める作法もすばらしい。
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驚いたことは神社には遺骨がなく霊魂を祀っていることです。
一度合祀すると祀られているすべての霊が一本のロウソクの炎のようなものになっていると教えられました。
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A級戦犯も含めてこの魂を分祀するのは不可能であることが漸く分かったのです。これは日本の伝統的精神文化であり、他国が批判することの出来ない文化の違いなのです。
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境内には従軍した馬、犬、鳩なども本殿の脇に祀られていることを知り、日本人のやさしさに感銘を受けました。
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私の知人の20代の中国人留学生は「日本の街は好きだけど、夢にまでくり返し出てくる残虐な日本人は嫌いです」と言います。
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悪夢を見るまでの反日教育に私はゾッとしますが、中国には言論の自由が保障され実態が知らされれば、このような反日洗脳も解けるでしょう。
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一昨年12月、私は米国で開催された中国問題国際会議に講師として招かれ、色々な報告をしてきました。
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現在、中国の国定教科書には天安門事件チベットでの虐殺、ベトナム侵略、朝鮮戦争の真実などは一切記述されていません。また元が2回日本を侵略したことも書かれていません。
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私は日本に来るまで中国が大躍進政策の失敗で2000万人の餓死者を出し、文化大革命で2400万人の命が奪はれたことを知りませんでした。
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中国共産党が日本に対して「正しい歴史認識」を問うのであれば、これらを中国人民に対して知らしめるのがフェアーなやり方ではないでしょうか。
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中国の歴史(教科書)は、政治権力が変ればその都合によつて変ります。その意味で、正しい歴史は日本で学べる、というのが今の実感です。いつの日にか中国が正しい歴史に基づいて民主主義国家なることを夢みています。(完)
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注)南京大虐殺天安門事件も、歴史の真実は全て日本で学んだ」原文