十五夜お月さんと山崎の渡し

 
わが町のマドンナ町会議員・伊集院嬢のブログによると、「山崎・橋本の渡し」復活実証実験を行うという。
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山崎・橋本の「渡し」の実証実験日は、平成24年11月6日(火曜日)。
でも定員は既にいっぱいで乗船申し込み不可とは残念です。
 
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以下は、余談の参考記事
 
『渡し』とは舟の渡し船や渡船場の総称。
↓画像左下に橋『山崎橋』が架かっているが川の左岸が山崎で、右岸が橋本。
 
 
 
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↑画像中央上部が平安京(京都)、中央が明治時代干拓した巨椋池おぐらいけ)。巨椋池の上(北側)は伏見、左が淀、右下沿いが宇治。尚、伏見が京都市編入されたのが1931年(昭和6年)。尚、この地図は安土桃山時代に作成されたもの。
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参考)【平安時代の三大橋】 
山崎橋(山崎太郎)、瀬田の唐橋(勢多次郎)、宇治橋(宇治三郎)。
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上の地図の左下を拡大。
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行基年譜によると、行基神亀2年(725年)に淀川をまたぎ、橋本と山崎との間に山崎橋を架けた。
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山崎橋は度々の洪水で流されたにもかかわらず、何回も架け直され、百数十年にわたって存続したらしい。
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尚、左岸の山崎の渡しは橋の位置より下がった位置で、地図の橋本の斜向かいの水無瀬川河口付近という
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左岸が西国街道、右岸が大阪街道。
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参考)渡しがあった付近の桂川との合流地点の水無瀬川
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↑画像は江戸時代中期の船着場「橋本」の屏風絵。
桜が咲いて花見をしているから季節は春ですね。
ここには「橋本遊郭」があって、石清水八幡宮とともに栄えたとのこと。
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↑画像は、昨日10月29日午後五時、男山から上がる十五夜のお月さん。
 注)満月は翌日の今日30日
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谷崎潤一郎の小説「蘆刈」(あしかり 1932年発表)の中で、ここ山崎の渡しと、男山(岩清水八幡宮)から上がるお月さんが登場する。
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作者は水無瀬川桂川との合流地から程近い渡しから中洲に船で渡る。
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江戸時代には中洲が無かったが、明治の淀川改良工事の後、桂川と淀川本流(宇治川・木津川)との間に中洲ができたという。
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一般には一旦中洲に上陸し、蘆(あし)原の道を進んで、別の渡し舟に乗り換えることになるのだが、作者は中州の蘆の中で腰を下ろし、清酒正宗を飲みながらの月見をしたのである。
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その時、中洲である男と知り合う。
この男も巨椋池おぐらいけ)に月見に行く途中だが、この中州に立ち寄り、ここで月見をしていたのである。小説は、この男の語りで、いよいよ本題に入る。

この男の父は、他の家の若後家『お遊さま』を好きになるがそれもかなわず。
『お遊さま』からその妹の『お静』と結婚するよう言われ『お静』と結婚する。
 
小説『蘆刈』のあらすじは下記URLをクリック。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1328255303
 
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参考)私のブログ記事
 
愛するが故に妻との別離 
阪急大山崎下車の谷崎潤一郎 
京都に在った諏訪湖より大きな池