日韓併合前の李氏朝鮮時代の政治と風習

 
今、私たちが習わなかった日本の近代史を知っておかなければならないこと。
 
それは、日韓併合前の李氏朝鮮時代の政治と風習です。
日韓併合1910年(明治43年後の朝鮮半島は、劇的に変化するのです。
 
(参考)日清戦争1894年(明治27年日露戦争1904年(明治37年
 
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さて、日韓併合前の朝鮮半島とは、
        
 
「動物がひどく苦しがっていることが判るときでさえ、一般の朝鮮人はまったく関心を示さない。道路に病気になった猫や犬、けがをした鳥などがいると、子供も大人も老人も手に手に石や棒をもって、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。」
 
「路上で不運な犬が首に縄をつけて犬肉店に引っ張られていくとき、子供の群れがガヤガヤ騒ぎながらそのあとについて行く。子供たちはかわいそうな犬が首をしめられ、最後のあがきをするのが見たいという期待に胸をふくらませている。
                            ホーマー・ハルバート 「朝鮮亡滅」
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日本に併合される前の李朝末期の朝鮮を訪れたスウェーデンのジャーナリストが当時の朝鮮での残忍非道残酷極まりない処刑風景を目にして次のように述べている。
 
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥ずべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ。
                                   アーソン・グレブスト
 
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次いで死刑の執行を見た。囚人は足を縛られ、腕は両脇にしばられ少しも身動きできぬようになっていた。囚人の脚の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重のすべてを棒の片端にかけた。
 
囚人が続けざまに吐き出す声は聞いていて実に凄絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえもはやないかのように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。

気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。力なく首を左右にゆすりながらうめき声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を締めて殺し、その死体をどこえやら引き摺っていった。  (略)
           
こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃するだろうと云う事だ。 

    グレブスト「悲劇の朝鮮」 スウェーデンのジャーナリスト
 
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凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。
生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。
 
歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。
また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。

なお、この刑罰は中国の影響を色濃く受けた李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
 
李氏朝鮮では三つの等級に分けられ、一等級では墓に葬られた死体を掘り起こして胴体、腕、脚など六部分に切り取って晒しものにする刑罰で、二等級は八つ裂きの刑、三等級は生きたまま皮をむいて殺す
 
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この映像(1分20秒以降)は、毛沢東時代の中国の処刑です。処刑されているのは民間人です。日韓併合前の朝鮮では当にこのように行われてきましたが、日韓併合後は日本がこれを止めさせました。
 
尚、気の弱い方はこの映像を観ないで下さい。
我等日本人にとっては悲惨過ぎますから。文化が違い過ぎますから。
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朝鮮紀行イザベラ・バード/著 時岡敬子/訳 (講談社学術文庫
著者が1894年から1897年にかけて、4度にわたり朝鮮を旅したときの紀行

 1897年にソウルに導入された最も画期的な変革のひとつに監獄の改善がある。これは元上海警察顧問官で現在朝鮮警察庁顧問官のA・B・ストリップリング氏によるところが大きい。氏はもともと日本人が提唱した監獄の改革を人道的かつ進歩的に実行している。

 監獄改善に関しては多くの対策がなされてきたが、囚人の区分をはじめまだ手つかずのままになっている問題も多い。それでも、ソウルの監獄は改革が行われていない清その他の東洋諸国にくらべれば、非常に好ましい方向に差をつけている。

 拷問は少なくとも表向きには廃止されたし、切断された首や胴体をさらしたり、笞打ちや身体のそぎ切りで死にいたらしめるようなことは日本の支配を受けていた時代になくなった。
ソウルの監獄を見学した日の午後、わたしは繁華街の雑踏のなかに三脚状に組んだ棒につるした首がさらされ、<<東大門>>外の道ばたの血だまりのなかに首のない胴体が転がっているのを見たのが、わずか2年前だとは信じられない気持ちだった。
http://sakura4987.exblog.jp/3686199/
 
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裁判は金の力で正義の秤が上下する。文明国ならたちまち民衆の反乱を呼び起こすに相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞きしないで済む日はないに等しい。
民衆がよくもこれを我慢しているものだ。

反逆者の処刑後は取り壊しがあり、全財産は没収され、息子や男系親族は皆殺しにされ、女はみんな奴隷にされた。死刑囚は笞刑を受け、罪を告白してから殺される。中には最後まで自分の無実を主張しながら死刑になる者もある。

朝鮮では証人は囚人同様留置される。証人席は時々、最も知っていると思われると拷問場に変わる。イギリス人殺しで呼ばれた証人は地面であぐらをかいた格好で太い杭につながれた。
 
彼は足首と膝頭を結えられ、それから両側のふくらはぎめがけて棒が二度にわたり振り下ろされた。丁度テコの原理である。すると下肢の骨は折れはしないが、ゆっくりと曲がる。証人は失神したが事件については知らぬと言い続けた

         「朝鮮滅亡」ハルバート(アメリカ人)

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日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。
 
韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。

    1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表

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日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

          アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

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子孫は先祖を憎み、後進は先輩を怨み、我々民族の不幸の責任を己以外の誰かに転嫁しようとする。
 
一体、なぜ我々にできず、その上に他人のみを非難するのか?我々が独立できないのは「ああ、我々のせいだ!」と己の胸を叩いて悔いることができず、「あいつらのせいだ!あいつらは殺されてしかるべきだ!」と叫ぶだけで、どうして座り続けているのか!己こそ殺されてしかるべきだと、どうして悟れないのか!

  韓国独立運動の父 安昌弘  上海臨時政府での演説より
 
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「日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけ ていた韓国を救ってくれた。
 
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
 
 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇をうけながら暮らしてみよう」

     1909年 12月4日  一進会(百万の朝鮮人会員)

  
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 朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している.その上、人民はあまりにも愚昧である。
 
これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。

 アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン

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 韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。
 
高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた。
             宣教師 ラッド博士

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 私のみるところをもってすれば、伊藤公の統治は最大なる賞賛に値するものであり、大変満足しております。韓国民は今ようやく彼をもって自分達の友人であると知ってこれを事実の上に現し始めました。過去三年間の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして総監政治の最も熱心な支持者たることを告白せしめます。
 私は伊藤公の必ず成功すべきことを信じて疑わない者であり、また、全ての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は等しく伊藤公の統治を支持しなければならないと思います。

             宣教師 ハリス博士

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 1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。
 
パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。
 
トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んででいなかった。
     ーアメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ
 
                                つづく

●韓国とは
日本の近代史とは