白文鳥の起源
カナリヤやインコよりもひと回り小さな白文鳥。
運呼も遙かに小さくて可愛らしい。
それを24時間放鳥しているのですから。
知らない間にズボンの裾に入ったり、足元にいたり。
いつ踏み潰すのか毎日がヒヤヒヤものでしたね。
ピピの姿が見えないときは、必ず居場所を確かめる。
分からない時は「ピピ!」と呼ぶ。
その時ピピは、小さく「ピッ!」と返事をしますがそれもたった一度だけ。
更に呼んでも二度は返事をしませんから、分かるのは声の方角だけ。
時にはその声が何処からかが分からない時は家捜しですね。
白文鳥を飼っていた人で、逃がしたり、或いは踏み潰し、失った方が結構多いのは当然ですね。我家でピピはよくぞ無事に過ごせたもの。
彼女は5歳の時デパートで文鳥チビを買う。
チビは十数年生きたが途中何回も災難に襲われた。
大きな災難は糞壷の中に落ちた。
二回目は踏まれて片足が動かなくなった。
三回目は猫に腹を割かれ血が出る傷を負った。
チビはそうした苦難を乗り越え、長生きして天寿を全うした。
ピピが亡くなってから、改めて白文鳥のことを調べてみました。
文鳥の名前の意味というと、
「文」とは彩(あや)のこと。物の表面に現れたさまざまな形や色模様。
特に線が斜めに交わった模様。綾。
文鳥の歴史を調べてみると、
この絵の描かれたのは1700年代で、絵師・三木文柳
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1847年刊行の山本亡羊『百品考』に拠れば、「世人好んでこの鳥を畜い(やしない)」、ついには京都の街中を野良文鳥が飛び交っているような状況となっていたようです
同じく幕末期比野勘六著「飼鳥必要」には、文鳥飼育が一般化しており、江戸の町中には篭抜け鳥が野鳥化していることが記録されています。
以上のように、江戸時代の終わりごろから昭和の初めまで、熱帯産の原種の文鳥が町中を飛んでいたようです。
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他方、白文鳥の場合
繁殖農家の皆さんの努力で個体数を増やしていき、ついには、日本の誇る独自の小鳥としてJapanese Rice Birdと呼ばれ輸出されるに至ったものと思われます。
弥富市公式サイト
上の日本画は、牧進が描いた「長閑(のどか)」
白文鳥(シロブンチョウ・ハクブンチョウ)の人気は海外のみならず、日本国内でも爆発的なものがあったようです。
何しろ白文鳥の絶対数が足りない段階では、白文鳥の交配相手はもともとの原種しかありえず、この白と原種の交雑からは、半分は白文鳥、半分は原種の頭、アゴ、胸、翼などに白い羽毛が混じった文鳥が生まれたと考えられるのです
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セピア色した新品種がシナモン文鳥です。
1980年代にはシルバー文鳥が、やはりヨーロッパで固定化されたようです
尚、現在文鳥として一般に流通しているのが4品種です。
(白・桜・シナモン・シルバー)
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白文鳥がいかに愛されていたのかは、掲載した絵や彫刻からにじみ出てくるものでお分かりと思います。
何故愛されたのかを知るには、白文鳥を書いた小説で推測できます。
それは次回ですね。
(次回)
尚、下記ユーチューブを観ますと、それなりに分かると思います。
(ユーチューブ)甘え上手な文鳥を詰め込んでみた
(ユーチューブ)水浴び
つづく
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(記事)