白文鳥ピピとのお別れ② 淀川の風になって消える

 
大きなペットでも、僅か二十数グラムのペットでも、別れの辛さは同じですね。
 
                  ◆
 
(前回記事)白文鳥ピピとのお別れ ①別れを告げにきたピピ
 
                   ☆
 
異変のピピを発見してから四時間後の午前十一時を過ぎてからでしょうか。ピピの嘴(くちばし)が何となく黒ずんできました。両脚も。
 
それが時間の経過と共に更に黒ずんでいきました。
酸素の補充が切れた血液の鉄分がそうさせたのでしょう。
   
それからいつも寝ていた毛布を座敷テーブルの上に持ってきてピピを寝かせ、その上に掛け毛布をしてあげました。
 
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そしてその夜は手作りの祭壇で通夜。ピピを偲びながら通夜振る舞いの酒を飲んだら眠ってしまいました。
 
やがて子の刻に目覚めてそれまで起きていた妻と交代。
CDのお経をかけながら今まで撮ったピピの写真をCDやUSBメモリから拾い集めて何度も見直しながら通夜中後悔し続けました。
 
ピピは夜9時半に呼吸困難になり寝床の私に助けを求めたのかも。
あるいは、最期を悟り、私に別れを告げに来たのかも。
特に午前1時半に目覚めたのは、ピピが息苦しくて私を起したのかも。
 
それも分からず、ピピを妻に委ねようとした自分を恥じました。
それも分からず、目覚めたのに起きてピピを看なかった自分を恥じました。
 
ピピにしたら、私と一緒に眠るのは当然でした。
私は時々ピピを左手で握り「ピピ、逝く時は一緒に逝こう!」と言いながらピピと一緒に布団で眠っていましたから。
 
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或いは、亡くなる数ヶ月前から何度かピピに青い空を見せていました。
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「ピピ、一緒に逝っても、君は私にかまわず、あの青い空をどんどん上まで上って行くんだよ」と。
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せめて、私の手の平の中で逝かせたかったですね。
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それから翌々日の夜、妻の夢の中でピピは家の中を飛び回ったそうです。
あの世に旅立つ前のお別れに来たのでしょうか。
それとも未だ生きていると思い、飛び回っていたのでしょうか。
 
「ピピよ、私には何故現われないの?」とピピの遺体に何度も話しかけました。
或いは「ピピはもう我家から飛び出てしまったの?」とも。
 
妻は、PCで白文鳥のレプリカを探して購入し、リビングにメモリアルを作りました。
 
後、初七日の夜明け前、目が覚めました。
と、暗闇の中、どこからともなくピピが飛んできて我等の寝床の上空を旋回し、それから北の方角の闇に吸い込まれるように消えて行きました。
 
私は寧ろほっとしました。
あの老衰で脚が悪く、飛べないピピが、飛んでいたのですから。
それに私にも別れの挨拶で現われたのですから。
 
ピピの霊魂は家を出て、三途の川に向かったのでしょう。
脚を引きずることなく、然も天空を自由に羽ばたきながら。
 
今度は迷い鳥にならず、無事に三途の川を飛び越えたでしょう。
川の向こうには春の柔らかな光と咲き乱れる花々。迷うはずはありません。
 
「あの飛び方だったら、お花畑からどんどん上昇し、天国まで行けるね」
「この世ではチョンガーだったけど、あの世では素敵なベターハーフを見つけられるかも」
 
 
ピピの亡き骸は、保冷材で包んでいましたが、埋葬するか火葬するかで迷いました。そこで取りあえず手製の棺桶を包んで冷凍庫に入れました。
 
以前飼っていた三羽のインコの場合は子供達が桜の木の下に埋めました。

その後、1990年に迷い鳥としてベランダに来たインコ「チビ」の場合は、白文鳥ピピが迷い鳥としてやって来た一週間後の2003年5月4日満14歳で死亡。
 
百キンで買った丁度ぴったりの桐箱を棺桶として遺体を冷凍庫に保存。一年半後の夏、田舎の庭に埋葬したのでした。
 
やはり埋葬となると、幾ら防腐剤や防虫剤を入れても、何れ朽ちて虫やバクテリアの餌食になる。土に帰ると言えども忍びない。
 
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火葬の場所を何処にするか?
鵜殿の川原でした。 
 
事前視察ですすきの原となっている鵜殿の川原を妻と観に行きました。ここなら淀川の風となって岩清水八幡宮を越えて京都まで行くかも。
 
直ぐに火葬するつもりでしたがその気には到底なれず。次に「49日が終ってから」と決めたものの、49日が来ても駄目でしたね。
 
そこでピピが迷い込んで来た日の4月27日にする事にしました。
我家にその身体が存在して丁度満9年ですから。
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いよいよピピが亡くなってからの5ヶ月半経過した4月27日の朝、それは素晴らしい晴天でした。
 
早速小さな祭壇を作り、お経のCDを流し、ロウソクと線香を焚き、ピピとの別れを惜しみました。
 
午後、とうとう予定したその時刻がやって来て出かけました。
 
私の背中のリュックにはピピの亡き骸を。
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    (中央左が天王山、右が男山、中央に霞むのが京都北山)
 
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鵜殿では十数羽のシラサギやウグイス、ホオジロ、ヨシキリ等が迎えてくれました。
 
堤防から目的地の川原の水際までの2km弱の道程を妻と何度も話したピピの思い出を改めて語りながら、ゆっくりと歩きました。
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       (画像 中央が男山、その右の建物が京阪樟葉駅
 
川原で移植ごてで穴を掘り、それに持ってきた木屑でキャンプファイヤーのように桟積みし、その上に、ピピの遺体を載せました。
 
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これは、私が就学前の60数年前、仙北(現、大仙市)の母の実家でお祖父さんが亡くなった時、雄物川に近い裏の畑での野焼きを真似たものです。
 
ロウソクと線香を改めて焚き、手を合わせました。
 
「ピピちゃん、8年半、有難う!」
「ピピちゃん、我家に来てくれて、本当に有難う!」
「ピピちゃん、天国で、今度は自由に飛び回り、幸せに過ごして下さい」
 
それから、徐に点火しました。
 
川風は、いつもは南風なのに、この午後は東西南北四方八方から交互に吹いて炎を揺らし、そしてピピは炎に包まれていきました。
 
1時間ほど経過したでしょうか。
ピピの身体全体から煙が途絶えました。
 
               ☆
 
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」  徒然草
 
 
                                                 つづく


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2012/11/13(火)