白文鳥に感じる女性への愛

 
白文鳥ピピとのお別れ ④白文鳥に感じる女性への愛
 
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白文鳥が何故愛されるのか?
それは、白文鳥に女性を感じるからです。
 
例えば「鶴の恩返し」という童話がありますね。
 
鶴は人間の女性となり、助けてもらったお爺さんの元を訪ね、自分の羽で機(はた)を織る物語。
 
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鶴も白文鳥も、紅に白い羽・黒い眼が清楚な女性のイメージにぴったり。
 
白文鳥は、更に、素直さ、か弱さ、可愛らしさ、甘え、色気を併せ持っているのです。
 
白文鳥ピピが来るまでインコを順次五羽飼い、時には放鳥し、手乗りさせていましたが、色気については白文鳥には到底及ばないですね。
 
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この白文鳥に女性の清楚な色気を感じるのは、何も男の私だけでなく、「にぎり白文鳥」を飼ったことのある女性の皆さんも感じているものと思います。
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夏目漱石白文鳥を飼い、その様子は「文鳥」に書かれており、その中でやはり漱石白文鳥に女性を重ねています。
 
但し、漱石白文鳥に餌と水をやらずに死なせてしまいますが、その原因を自分ではなく、家人(16歳の女中)のせいにして、「(家人が)餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と白々しく述べているのには呆れます。
 
 
 
以下、「文鳥の文学1 漱石と弟子達」より一部ランダム抜粋
 
                ◆
 
(参考)全文は下記青空文庫で読むことが出来ます。
 
漱石は、東京帝国大学生の鈴木三重吉から、白文鳥を飼う様に奨められる。
この漱石の「文鳥」という作品は、白文鳥が死んだその年(明治41年、1908)6月大阪朝日新聞に掲載され、その年の10月「ホトトギス」に一括掲載されました。
 
 
文鳥の眼は真黒である。瞼(まぶた)の周囲に細い淡紅色(ときいろ)の絹糸を縫いつけたような筋が入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっと傾けながらこの黒い眼を移して始めて自分の顔を見た。そうしてちちと鳴いた。
 
細長い薄紅(うすくれない)の端に真珠を削ったような爪が着いて、手頃な留り木を甘(うま)く抱え込んでいる。
 
自分はそっと書斎へ帰って淋しくペンを紙の上に走らしていた。縁側では文鳥がちちと鳴く。折々は千代千代とも鳴く。外では木枯らしが吹いていた。
 
 
文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。
この女は今嫁に行った。
自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。
 
文鳥はこの華奢な一本の細い足に総身を託して黙然として籠の中に片づいている。
 
文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持水入の中にしゃがむように腹を圧しつけつつ、総身の毛を一度に振っている。そうして水入の縁にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。
 
水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然として行水を使っている。
 
 
自分は急に易籠(かえかご)を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露(じょろ)を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあとかけてやった。水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠(たま)になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。
 
 
餌壺には粟の殻ばかり溜っている。
啄(ついば)むべきは一粒もない。
水入は底の光るほど涸(か)れている。
西へ廻った日が硝子戸を洩れて斜めに籠に落ちかかる。
 
注)漱石は、白文鳥に餌や水をやらずに死なせてしまいます。
 
自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書(はがき)をかいた。
「家人(16歳の女中)が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と云う文句であった。

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漱石が、亡くなった白文鳥のことをこと細かく 書いたのには理由があるのです。
実は、その白文鳥と重ねた女性は、嫁いだ後に同じく亡くなっているからです。

次は、漱石文鳥を奨めた三重吉の小説に登場する白文鳥
 
鈴木三重吉著「三月七日」(後に「鳥」と改題)
 
漱石のこの「文鳥」の話しの2年前、東京帝国大学英文科在学中の明治8年、病気療養のため能美島(のうみじま 広島県)の滞在先の女性に対しての淡い思いを「千鳥」という作品にして「千代紙」という一編に収めた。
 
 
男は、手紙を書き終え、投函しに部屋を出て行ったが、戻ってきたときには白文鳥を買って帰ってきた。男はじっと白文鳥を観察する。羽は雪のようだ、足は珊瑚の色等と感じたが、嘴(くちばし)の色を何にたとえてよいのか判らない。
 
昔見たような記憶があるのだが、思い出せない。そのうち、幼なじみの綾さんの事を思い出し、「あの時の行灯(あんどん)の色」だと気が付く。
 
小さい時、綾さんの家で狐の嫁入りの江戸絵をつみ、つんだものを綾さんが拾って「千代紙の小箱」に入れる遊びをしていると、行灯の火が暗くなってきた。
 
行灯の中には小女郎の焼き物があって、その真っ赤な色が文鳥の嘴の色に似ているのを思い出したのである。
 
この時、文鳥は「千代、千代」と鳴いた。
男は微笑んでかわいい鳴き声だとうれしがる。
 

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 夢から覚め、再び執筆に専念する。小休止のため、床の間に置いてある綾さんからの手紙を見つめ、再び夢想する。
 
綾さんにこの白文鳥のことを知らせ、「二人が一緒になるまで手元で大事に飼ってくれ」と言うつもりである。文鳥は、「白い白い誓いの印」なのである。
 
自分が死んだときはこの鳥を放してやってくれと言うと綾さんは、私が死んだときはと問い返す。

「綾さんは仕舞に白無垢を着て、緋縮緬(ひぢりめん)を口にくわえて雪の中に埋まるがいい」「するとちょうど文鳥に生まれてくる」
 
全編ロマンティシズムが漂う作品である。
 
注)緋縮緬(ひぢりめん)
緋色の縮緬。女性の長襦袢(ジュバン)や腰巻に多く用いられる。
尚、この名称で濃朱色の椿がある。
 
画像は京都・東山料亭「京大和」サイトから借用しました。
 
 
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次は
山岡荘八著(昭和21年)「文鳥
 
芸者春千代として義母に育てられた歌代は、19歳の時、東京から来ていた金持の息子・嘉一郎と一晩過ごす。

やがて女の子を身ごもると義母はこれをダシにして大金をせしめる。
但し、その子は金持に引き取られるが、今後一切接触しないことを条件に。
 
それから20年、39歳の歌代は、東京の鶯谷(うぐいすだに)に流れ着き、三味線で流しをしていた。
 
六畳一間の生活の寂しさを紛らわすために、白文鳥を一羽飼う。
名前は手離した娘の名前を取って「智恵子」。通称「チィちゃん」

家出娘「玲子」と知り合い、やがて自分の部屋に泊める。
千恵子は玲子として成長し、恋に悩む年代に育っていた。

玲子は恋を抱く男性がいて、親が決めた男との結婚話を嫌って家出をしていたのであった。間も無く、歌代は、玲子が自分の娘・千恵子だと知る。
 
歌代は「ハチ切れそうな処女の持つ清潔さと純白な羽の感じにも似ていたし、赤く小さな嘴(くちばし)と唇。愛くるしい小首を傾げに物を云う艶な瞳。ちょっと気取っている癖に、妙に人懐っこ性格までがよく似ていた。」と玲子の容姿と白文鳥が重なる。
 
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この他に、堤千代著「文鳥」(昭和22年)の中で、(フランスに単身赴任していた亭主は)白文鳥に愛妻の名前である「静子(シズ公)」と名づけて可愛がっていました。
 
 
白文鳥を想う心が、愛する女性を想う心と重なりますね。
 
                            つづく
 
 
注)この記事での白文鳥の画像は、ピピです。
 
(記事)

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