ネット社会に於ける我が国の歴史教育再考

 
 
 
中国人・韓国人が良く分かる中国人のブログを見つけましたので掲載します。
 
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【中国ブログ】日本人の「心遣い」に感動!「国家の品位だ」】
                            2009.12.12
中国では「他人に対する親切」も、大きな問題につながってしまう可能性があるという。2006年11月、南京市に住むある青年がバス停で老人が倒れているのを発見、起こしてあげたうえに病院にまで連れて行った
 
  検査の結果、老人が骨折していることが判明すると、老人の家族は「骨折したのは青年がぶつかってきたためだ」と訴え、青年は数万元(1元=約13円)の治療費を支払うよう要求されるという事件が発生した。裁判の結果、青年は1万元(約13万円)を支払うハメになってしまったという。
 
  また、先日は一人の青年が落ちていたお金を発見したものの、落とし主との間で何らかのいざこざに巻き込まれることを恐れ、拾い上げるたり交番に届けたりすることをせず、警察を呼びよせ、警察が現場に駆けつけるまでひたすらお金を見張っていたという事案が発生している。
 
  中国では「親切が仇(あだ)となって返ってくる」という事件が頻繁に起きるため、他人に対して親切心をもって接することが難しくなっている。これに対し、日本在住の中国人ブロガー・沫沫さんが自らのブログに「日本で感動したこと」と題する文章を掲載している。
 
  文章によると、沫沫さんの息子が修学旅行で広島へ行った際、持って行った家のカメラをどこかに忘れてきてしまったという。宿泊したホテルに問い合わせても紛失したカメラは見つからず、そのまま1週間が経過してしまったそうだ。修学旅行のスケジュール表を見ながら記憶をたどり、広島郷土資料館に電話をしてみたところ、紛失したカメラが保管されていたという。
 
  ブロガーが先方に住所を伝えると、先方が送料を負担したうえで送付してくれたそうで、その梱包(こんぽう)も非常に丁寧だったという。さらに箱には一通の手紙が添付されており、「資料館に来館いただきありがとうございました。ここにカメラをお返しいたします」と書かれていたという。
 
  この日本ならではの心遣いに対し、ブロガーは「日本の至れり尽くせりのサービスや心遣いに、私は何度も感動を覚えたものだ。今回のカメラの一件がその典型的な例だろう。日本ではこうした心遣いは珍しいことではなく、優れた心遣いは日本という国家の品位だと言えよう。私が今回の件をブログにしたためたのは、中国でもこのような心遣いが見られるようになることを願っているためである」と結んでいる。(編集担当:畠山栄)
                                  以上転載終わり
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つまり、「中国人は恩を仇で返す」ことに何の恥も後ろめたさもないですね。
これは、日清戦争まで中国の影響を数百年受けてきた朝鮮人も同じといえます。
 
 更に中国人と朝鮮人は、自分達が罪を犯すと、被害者を悪者にする習性があります。だから、加害者である彼らは被害者である日本人を悪者にするために、自分たちが行った蛮行を、さも日本人が行ったかのように捏造するのです。
 
尚、中国では文化革命時代に儒教は迫害されましたが、昨今では再評価されているようです。国民の質を上げるために。
 
他方、中国一般市民がネットと日本への旅行での体験で、中国での歴史教育で習ったものと実際の日本人とは違う事に気がつき始めましたね。
 
更に、3.11の時、日本人の日本国内にいる中国人に対しての行動のニュースが中国国内を流れてから心の変化が起きたのは、中国人の書いたブログを見ると分かります。
 
(当時のこのニュース)中国人研修生を避難させた日本人社員
 
 
その点、韓国人には何をやっても意味が無いですね。
昨年10月野田首相は韓国支援枠を現行の一兆円から五兆3900億円に拡大したのですが我等の国税をドブに捨てるようなもの。彼は何処の国の首相かな?
 
相変わらず、日本人を罵倒する歌(前半)、後半は「少女時代」が歌います
 
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下記は、井沢元彦氏の週間ポスト掲載文です。
韓国の根性は歴史的なものであることがお分かりと思います。
 
井沢元彦氏は1954年、名古屋生まれ。週刊ポストに連載中の『逆説の日本史』はシリーズ累計440万部を突破した。10月より小学館ウェブマガジン『BOOK PEOPLE』にて『逆説の世界史』も連載中の井沢氏が、朝鮮半島の過去現在未来を、東アジア流転の歴史から読み解いている。
 
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朝鮮半島の国家は歴史的に「つらい」国であった。日本のように海に囲まれておらず、中国と陸続きであるから、何かと中国が戦争を仕掛けて来る。
 
七世紀高句麗百済は唐に抵抗したが、新羅の金春秋(武烈王)は結局唐の臣下(新羅国王)となってライバルを滅し半島を統一する道を選んだ。これ以後、半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、すべて「国王」すなわち中国皇帝の臣下であった。それが歴史上のまぎれもない事実だ。
 
だからこそ、日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて「朝鮮国の独立」を認めさせた時、これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して独立門を建てた。これが今も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。つまりこれは「中国からの独立」を記念して建てられたものであり、朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。
 
現在ある場所に建てられたのも理由がある。ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。
 
骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、「野蛮人には従えない」と明に義理立てした。
 
怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め「土下座(正確には三跪九叩頭礼)」をさせて服属させた。これは「神話」ではない、事実である。しかも、清国皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と強制し、歴代国王に三跪九叩頭礼を強制した。その場所が「迎恩門」なのである
 
日本が清に勝ち、朝鮮の独立を認めさせた時、まず朝鮮人たちが行なったことが迎恩門の破壊であった。そして、募金によって独立門が建てられたのだ。
 
ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。「有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった」などというデタラメが学校で教えられているからだ。
 
独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。
 
しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは一八九七年だ。韓国併合は一九一〇年だし、光復(独立)は一九四五年だろう。それ以前の話なんだよ」と言うと、彼等は絶句し思考停止してしまう。
週間ポスト 2011.12.16