横山「三国志」・ちば「プレイボール」の画像で士気高揚!

 
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      私の履歴書・394
 
今回は、本社着任の1991年のことで、追加の記事を三つ書きます。
 
亜子の札幌での結婚式のことは、この次の回です。
 
 
 
 
【一つ目】
私の仕事には、マスコミ対応と新商品開発も含んでいましたから、新商品発表では、本社に各新聞記者を招待し、或いは京都・大阪の新聞記者クラブに出かけました。
 
或る全国版日刊紙の新聞社の場合、㈱ウズマサの社史を20回シリーズ(毎週1回)で新聞に掲載したいとの要望があり、新聞記者と会い打合せをしました。
 
彼は色々取材後、第一回目の原稿を書き、私に可否を求めてきました。
当初は、その原稿に赤鉛筆で若干の加筆や修正をしただけでしたが、四回目ぐらいからやり方を変えました。
 
彼が回ごとの原稿を書くと、私が出張中の時は、出張先やホテルにその原稿をFAXで送信してもらい、現地社員との飲み会の後の深夜ホテルで改めて私が執筆し、翌朝、ホテルのFAXで新聞社に返信しました。
 
ですから、10回目前後からでしょうか、本来の原稿とは全く違って全面的に書き換えた私の文章が新聞に掲載されていったのは。前代未聞のことだったでしょうね。
 
 
この新聞社が、社長の写真を撮るとき立会って初めて気がついたこと。
それは社長秘書課長や女性秘書は社長の身なりに無頓着であることを。
 
以前から社長の写真が新聞や他の出版物に掲載されるのを見ると、いつも微妙にネクタイが曲がっていたり、ワイシャツや背広のボタンが外れていたりしているのでどうしてこうなのかと思っていました。
 
参考)
以下の記事は、毎日新聞の記事。
他の国の首脳の皆さんのネクタイは曲がっていないのに日本の首相だけが曲がっていたようだ。
 
2010年11月の横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で、(菅直人が)オバマさんと一緒にいるところを(テレビで)見たら、ネクタイは曲がっているし、胸の当たりも盛り上がっている。メガネを入れているわけ。(辻元清美談)
 
そこで社長には立ってもらい、母親が幼稚園児の身なりを前後左右から点検するが如く、社長のネクタイを締めなおしたり、髪を直したり、背筋を伸ばさせたりしました。
 
 
【二つ目】
バブルは1986年12月から私の着任した1991年2月の51ヶ月で、会社の業績も毎年記録を更新してきましたが新たな問題も提起されました。
 
LL社や外資系企業の買上げ等も含めてこの数年間で一気に新しい機器が全国の商店に行き渡ってしまい、もうこれ以上の伸びは期待出来ない状況に陥ったのです。
 
参考)同様な事態として、2010年12月までにエコポイント(助成金)が支給されましたから、地デジテレビの買い替えが一気に促進されましたね。
この後の現象として、テレビの需要が一気に下がり、日立はテレビから撤退。
 
 
イメージ 2畢竟、全国の営業員の士気は下がり気味。
さて、どうやって全国営業社員の士気を鼓舞するか?
 
読み始めたら止らないマンガ・横山光輝の「三国志」と、ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」の画像と言葉には、人を鼓舞するものを持っている。
 
これを使ったら、ひょっとして?
試しに従来の営業速報の記事を、これらのマンガの画像で作ってみました。
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「くだらん!」と言って直ぐに破り捨てる支所長がいるかもしれない。
 
「仕事にマンガを持ち込むな」
「ふざけるな!」と怒鳴る支所長がいるかもしれない。
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批判覚悟で、タイマーを使って午前二時から全国67ヶ所にFAX送信をしました。
 
 
さてさて、初日はこの件で何処の支所からも電話が無かったのでホッとしました。
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確か二日目だったと思います。
 
地方の小さな出張所長が「部下社員の奮闘をこのマンガ形式で書いてくれ」と依頼してきましたからその画像を作り、再度、恐る恐る全支所にFAX送信しました。
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と、各地の支所長・課長から電話がかかってきましたね。
 
大反響でしたね。半年間で200枚以上全支所に送信したでしょうか。
 
何処の支所を訪問しても、壁面はこの画像速報紙で埋め尽くされていましたね。
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【三つ目】
他方、支所からは、商店対象に何か売れるものが欲しいという要望がありました。
家電では全国のメンテナンス会社と競合してしまいますし、それに販売単価が低すぎます。
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そこで、私が窓口となり、当時流行し始めた「アルカリイオン整水器アンジュ(日本インテック製)」を取り扱い、全支所のBB課営業員に販売させました。http://nipponintek.co.jp/
 
この機器は、本来、アルカリイオン水を飲んで健康に!というモットーでしたが、強酸性水で水虫が治ったというクチコミで各商店に売れたケースが多かったようです。
 
私の胸算用では、半年間で1万台(×@20万円=20億円)の販売予算でしたが、
結果、半分以下の4,700台(約10億円)で終りましたね。
 
 
 
尚、会社としては、バブルがはじけたこの年も翌年も好調でした。
太秦社長は、バブルの始まる前からもバブル最中でも会議で警告していましたね。
「今日の繁栄は明日も続くとは限らない」 と。
 
業績が下がり始めたのが、バブルがはじけて三年目(着任三年目)からでしょうか。


(※)
私の履歴書40代本社編目次