祇園花見小路での失敗談
私の履歴書・388
祇園花見小路での失敗談 - 膀胱のピンチ
ついでに失敗談を続けます。
話は一年後の1992年に飛びます。
同じ二月の事でした。
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Tさんから、その大学のレベルを聞かれたとのこと。
そこで伝言。
斎木君がTさんにその旨伝えましたら依頼されたこと。
「娘の京都での住居を探して欲しい」
私、学生アパート探しを数軒の不動産屋に依頼。
幾つかの物件情報を旭川にFAX送信をしました。
後、Tさんが挨拶で会社に来ましたので但馬牛の霜降り焼肉をご馳走しました。その時、私、ビールと熱燗を交互に飲んだのがそもそもの失敗の元。
トイレに行って間もないから大丈夫と思ったのです。
外に出ると何と寒いこと! 2月の殊更寒い日でした。
タクシーの運転席の後ろにTさん。その横に私が乗車。
二人で祇園に向かいました。
処が、走り出してから間も無く、私、突然尿意を催したのです。
その尿意は、半端なものではなく、抑えようもない程強烈でした。
タクシーを停めてもらったのですが、何せネオンチカチカの街の中。
タチションする場所がない。
ましてや顧客であるTさんの手前もありましたから、そのまま祇園花見小路まで走ってもらいました。
四条花見小路角の一力(いちりき)さんから一筋下がったところで下車。
お~!寒い!
尿意が一段と激しくなりました。
これはもうもたない!
花見小路から路地に走りました。
当時、祇園甲部そのものが薄暗く、ましてや路地でしたら人影がない。
処が、この無人のはずの路地の向こうから一人だけポックリで早足に歩いてくるのは舞妓さん。
しからば、こちらの路地に走るも、こちらでもまたまた舞妓さん。
午後九時過ぎですから、舞妓さんの移動時間でした。
これではお茶屋さんでトイレを借りるしかない。
と言っても、この電話中は天地が引っくり返る思い。
前を押えて耐えに耐えるも、膀胱がキュ~っと締まって破裂寸前。
受話器を置いた時です。
急に、スゥ~と締まっていた膀胱の収縮が引いたのです。
それはあたかも、チュウインガムで風船を作ったとき、弱い部分に裂け目が入るも、その裂け目が割れずにプーと薄くなりながら膨らんだ感じです。
あれ程の強烈な尿意は消えてしまいました。
何か膀胱で起きたな?
破裂したのかな?
破裂したなら一巻のお終わり!
明日の京都新聞の見出しは
「祇園花見小路でサラリーマン 膀胱破裂で路上死!」
だが、破裂して尿が内蔵に浸透した感覚ではない。
急いでお茶屋さんに入るなり、直ぐにトイレに駆け込みました。
処が、出た小水は小さじ数杯程度。
こりゃ、やはり小水が内蔵全体に行き渡り、あの世逝きかな?
でも、Tさんの応対を放置する訳にはいかない。
このまま行けるところまで行こう。
かっての部下、斎木君の大事なお客さんですから。
私も深夜の旭川三六街を千鳥足で徘徊した時には必ず挨拶したT商店の親父さんですから。
お茶屋さんのホームバーではいつもの通り何事も無く時が過ぎました。
後、タクシーでホテルに送って責務を果たしました。
翌日は終日会議。
排尿時の痛みは無いのに尿が黄色くなったのが夕方。
翌々日の午後です。
会社のトイレで尿に血が混じったのは。
早退して病院に行きました。
院長に状況を話しましたら笑われました。
やはり膀胱に損傷。
帰り際、廊下で看護婦長さんに耳打ちされました。
「今度来る時も院長に診て貰いなさい。あとの医者はヤブだから」
それから三日間点滴。
事無きを得ました。
然し、あの時の薄暗い祇園甲部の路地。
当時、この時間は誰も歩いていないはずだったのに。
そこを舞妓さん一人だけが向こうからポックリ早足で来る。
構わずタチションしたら、私の身体には何等問題が無かったのですが、やはり、舞妓さんとのサシでは幾ら何でも私にはタチションする勇気が無かったです。
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私の履歴書40代本社編目次
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