舞妓・芸子うちわの思い出
私の履歴書・404
舞妓・芸妓うちわの思い出
1991年~95年のこの時季、営業本部のフロアーでパタパタするのが舞妓うちわ。
京丸うちわに舞妓さんや芸妓さんの名前が入っているもの。
(舞妓うちわ読売新聞)
舞妓さんや芸妓さんが届けてくれるものや送ってくるもの。
一般の人は手に入らない。
あのうちわを飾ると京都の暑い暑い夏の始まり。
営業本部設計部・昭光部長(仮称)のお気に入り。
毎年豊和さんから会社に芸妓うちわをダンボール箱で送られてきました。
豊和さんが芸妓を辞められて祇園町南側に「豊和」という小料理屋さんを開店した日に昭光部長に連れていってもらいました。
格子戸を開けると左側に昭光部長の贈った大きな開店祝の生花が置かれていました。その時、初めて豊和さんにお会いしました。1993年。彼女が47歳ですね。
然し、花見小路からちょっと離れていましたから、二度目も三度目の訪問の時も筋を迷いました。夜の祇園甲部は花見小路を離れたら薄暗いから分かり難いのです。
先日、たまたま豊和さんでPC検索しましたら、彼女に関しての記事がありましたから、その一部を抜粋して下記に掲示します。やはり素晴らしい女性。嬉しいですね。
尚、豊和さんは結婚されて千葉の浦安に住んでいるそうです。
1946年京都祇園生まれですから今年は65歳。浦安では著名人のようですよ。
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お茶屋 池田家さん 道案内
屋形さんでの修行の話は岩崎峰子(究香)さんの「花いくさ」に詳しいですが、この岩崎峰子さんと祇園時代がダブっておられて少し後まで活躍されてた「豊和」(とよかず)さんに、屋形さんでの修行生活のすごかった話をいくつかお聞きしたことがあります。 その詳細については、ここでは述べません。
この「豊和」さんは、とても良い方で、すっごく面白く、また人を引き付ける魅力があり、お座敷遊びも上手にリードしていただきました。
豊和さんの十八番(おはこ)のひとつに襖芸(ふすまげい)がありました。 ひとりで二役をする、とっても面白い芸でした。
ホントどう見ても二人の人が演じているようにしか見えませんでしたね。 今でもその光景がまぶたに浮かびます。
(↑ここをクリック\(~o~)/キッスを観てのご感想は?)
(この芸を元々なされていたのが「豊治(とよじ)」さんでしたね。豊治さんは、豊和さんのお姉さん分で、この方も良い人でしたね)
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豊和さんは、藝妓はんを卒業して、祇園町南側に「豊和」って云う小料理屋さんをされてましたが、ご結婚されてお店を人に譲られたかして、今は関東方面にお住まいです。
かの阪神大震災の折、京都から芦屋までわざわざ防空ずきんを被って、もんぺ姿で被災された昔からのお馴染みさん(頭坊さま)のところへ「大市」の「まる」(すっぽん)の蓋付き硝子容器を携えてお見舞いに行かれたという、すばらしいお話を以前頭坊さまから伺って、豊和さんなら、さもありなんと思ったことがあります。(以上で抜粋おわり)
(上記記事のURL)
私の履歴書40代本社編目次
https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/folder/1503381.htm