トルコ石で始まりトルコ石で終った札幌勤務

 
イメージ 1
 
 
      私の履歴書378
 
1991年2月6日、転勤移動の日。
 
札幌営業所に出社しない予定でしたが通常通り出社し朝礼に参加。
 
見送りは断りました。
 
近くのリムジンバス乗り場(R36号線月寒)に車で送ってもらい、そこから乗車。
千歳空港から伊丹行772便に搭乗。
 
伊丹空港に着陸し、機内から出る時のこと。
私は最後尾の座席で、一番後から歩き始めました。
 
真ん中程に来た時に、左座席の床に転がっている青く丸いものが目につきました。
立ち止まり拾うとそれはネクタイピン。
 
それも飴玉ほどのトルコ石のついた立派なもの。
当時、50万円はしたでしょう。  
 
これは、その四年前の社長室で札幌転勤を社長から言い渡された時、社長におねだりしたネクタイピンと瓜二つ。  参考)私の履歴書229
天が社長に代わって私にくれたものと一瞬思いました。
 
でも機内の出口扉までの二十歩ほどを歩いている時、これ程のトルコ石には所有者の霊魂が宿っているかもしれないと思うと、気分のいいものではないですね。
出口扉前で立っているスチュワデスに「これ、落し物」と言って渡しました。
 
然し歩きながら『トルコ石のネクタイピンに始まり、トルコ石のネクタイピンで終った札幌勤務四年間』だったと、つくづく思いましたね。
 
その日PM6:40、本社に入り着任。
社長室→全部署に着任挨拶をし、夜は祇園へ。
 
 
翌日から本社勤務となったのですが、間も無く身体の異常に気がつきました。
さっぽろビール園での一気飲み17杯などで肝臓を悪くしたのではありません。
 
とにもかくにも社内や街の室温が低すぎて寒い!
 
北海道の冬では、何処に行っても室温は25℃ありますし、ましてや札幌の我家の室温は特別で30℃。冬でもステテコでビールを飲む。
 
室温は20℃未満の関西の室温では背中が冷え冷え。
身体がそうなってしまったのでした。
 
ですから、初夏、腹巻をしていても寒い。
気温が丁度良いと感じたのは真夏。
 
かんかん照りの日差しがなんと心地良かったこと!
普通に戻るには十七年はかかりました    参考)私の履歴書258
 
 
それから、も一つ。
 
コーヒーを飲めなくなったのです。
飲んだら具合が悪くなったのです。
 
それもそうです。
札幌の事務所にいますと、毎日コーヒーを十杯以上飲んでいましたから。
日中に飲まされ、午前一時頃も世子と亜子に飲まされましたからね。
                                   参考)私の履歴書297
 
 
母から聞いた事があります。
私の従兄弟が、コーヒーを飲み過ぎ、腎臓を壊して入院したことを。
母方の遺伝では、どうやらコーヒーに弱い体質です。
 
コーヒーを偶に飲むようになったのは、札幌を離れてから七年後でしょうか。
今でも一日一杯を三日続けると症状が表れます。
 
でも、コーヒーを飲む度、世子と亜子の当時の顔が必ず浮かびますから、偶に飲むのもいいですね。