怒り狂った彼の妻が包丁を投げる

 
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   私の履歴書374

怒り狂った彼の妻が包丁を投げる
 
私の後任者・千葉営業所福知所長に引継ぎの日時を問う電話をすれども、音沙汰無し。
 
先ずは着任前に一度札幌に来て住居を確定するものだが、どうやら千葉営業所の引継ぎでもめているらしい。
 
参考1)私の履歴書369 とうとうきた転勤命令(1991年2月のこと)
 
私は、そんな男を当てにしたら転勤挨拶は出来ないと思い、9日道東から開始。

単独で(9日~11日)千歳空港→釧路空港→根室→釧路→網走→北見→置戸町鹿の子荘(2010年廃業)泊→女満別空港。以後、札幌市内や郊外に行き転勤挨拶。
 
福地君がようやく札幌に来たのが着任前日の120日(日)。
翌日、札幌市内の挨拶回り済ませ、夕方から私の作成した引継ぎ書の説明。
 
福知 「僕は非常に疲れているから、引継ぎ書は後にしてくれないかね」
森口係長 「会社規定で、両者が引継ぎ書に捺印をしなければなりません。他に時間がとれないのでしょう?」
 
彼は、森口係長の引継ぎ書の中の今期損益計算書売掛金の説明を腕組みしながら半分眠って聞いていましたね。
 
22日( 火)は札幌市内と小樽・滝川訪問。
滝川商業組合理事長宅で通された応接室の飾り棚には、ドライフラワーになった三つの鉢がありました。
 
その枯れた茎には夫々名札が付いています。
三つの鉢共、私の名前。それは私が着任二年目から三年間、理事長の誕生日に花屋から贈ったもの。
 
23日はJAS61便で千歳→函館空港
帰路は八雲に寄ってからJRスーパーホワイトアローで日帰り。
 
これで道南を済ませてから、道北・道東に向かったのでした。この転勤挨拶の期間の毎日毎日、然も終日、彼は不機嫌そのもの。

彼の再々発する言葉とは。
 
「僕は、君の真似は出来ない」
あるいは 「疲れた」「眠い」
  
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道東の時は、早朝、先ずは帯広へ。
 
小さい飛行機は怖くて遠慮したいとのこと。
止むなく経路を変更し帯広行き特急に乗車。
 
グリーン車は、普通の車両よりも三段高い位置に座席がある。見晴らしを良くしたものでしょう。
 
そのグリーン車での乗客は4名のみ。
依然と彼は不機嫌な顔に腕組みして眠ったふり。
 
私 「時間がありませんから、この電車の中で営業引継ぎをして下さい」
彼 「僕は東京で三日三晩、眠っていない。疲れが未だ取れまい。だから眠る」
彼 「三日三晩って、東京で何があったのですか」
彼 「関東の支所長達との送別会だよ」
私 「当然、山村関東営業本部部長との送別会もしたのでしょう?」
彼 「そうだよ」
私 「山村本部長が君に何を言ったか知りませんが、恐らく『水無瀬の言うことは聞くな』と言ったのではありませんか?」
彼 「僕は眠いから寝る」
 
山村本部長は、『函館戦争』終結後に札幌に来ていない。
私にしてやられた山村本部長は、恐らく相当立腹しているはず。
 
参考3)『函館戦争』についての私の記事は、この記事最下段に列挙しています。
 
山村本部長は、彼に私の事で何かを言っているはず。この雰囲気では「水無瀬から営業引継ぎはするな」と言っているかも。
 
それに、関東の支所長からは私の東京支店時代の話を聞いているに違いない。
小金井市国立市での営業展開(私の履歴書・125)と私の顧客との関係の深さを。
 
広島に転勤してからも、東京の顧客から私に相談の電話が入る。
東京支店の営業員が顧客を訪問しても相手にしてくれないと言う。
 
東京支店の課長や主任から広島の私に泣きの電話が来ました。
「東京のお客さんからの電話は断って下さいませんか?」と。
    
仕方がありません。せっかくの特急での札幌→帯広間で3時間以上(当時)もあるのに、口頭説明も出来ません。
 
私は、車中で横書きの社便箋20枚に「札幌着任当時の血判状」や「着任当時の道内の状況と制覇過程」「函館戦争」等をしたためました。
 
時々目を開く彼に、それまで書いた分を渡すのですが、ポイと横の座席に放ります。
 
何と失礼な奴!
 
腸(はらわた)が煮えくり返っているのですが、ここはぐっと堪(こら)えて。そうこうしている内に特急は帯広駅に着きました。
 
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後日判明したこと。
 
千葉営業所の売掛金370万円が回収不能
本社営業管理部署が取引を禁止した零細企業(竹ノ内)に彼が許可を得ず商品を卸したものの、案の定、その零細企業が倒産。
 
だから、彼の後任者は引継を拒否。
明らかに彼の個人責任。
成績の上げれない所長が時には個人リスク覚悟でやること。
 
彼は、個人で370万円を倒産した社長に貸す形をとり、それを回収入金処理。そこでようやく千葉営業所での引き継ぎが成立。
 
彼の自宅では、370万円の個人負担を知った奥方が怒り狂い、彼女の投げた包丁が彼の頬をかすり、襖にスポッと突き刺さったとのこと。 
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参考3)以降の函館戦争についての記事 
 
 
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