しばれた冬の札幌の夜
私の履歴書・354
札幌の冬、気温がプラス1℃ですと皆「暑い!暑い!」と言い、汗をぬぐいましたね。
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私の札幌在任四年間、確かに釧路や北見の夜、タクシーに乗車するも寒くて脚と背中が痛い時がありました。
でも、最も寒いと感じたのは札幌の豊平区平岸でです。
夜、環状通り沿いの事務所に残っていたのは魚住君と草野君と私の三人。
事務所のポット式オイルヒーターでは効かないので身体を温めに飲みに行こうということになりました。注)今はこの事務所は無い。
すすきの迄出るのは面倒。
近場というと地下鉄平岸駅の傍に何軒かの居酒屋があるといいます。
外に出ましたら、半端な寒さじゃなかったですね!
星が出ていたような。
当時、マイナス10℃ではそんなに寒いとは感じなかったです。
ところがその夜はそれどころじゃなかった!
とにもかくにも立っていられない。
これが「しばれる!」 注1)語源 柴の水分が凍って柴が割れる
恐らくマイナス20℃以下。
注2)追記 上記マイナス20℃以下は間違い
注3)追記 eru-abiさんのご指摘により、当時の札幌の最低気温を調べてみました。
1990年1月24日マイナス15.6℃、1988年2月18日マイナス13.6℃
注4)追記 マイナス15℃前後でしたら旭川で何度も体験済みなのですが。
頭がガァ~~ンとなり、痛いし、気が狂いそう。
ガクガク身を振るわせながらサクサクと音がする雪道を歩きましたね。
皮下脂肪の厚い草野君がコートを貸してくれたので、コートの上に更にコートを羽織るも効果なし。徒歩で10分前後でしょうか。
居酒屋に入るも室温30℃の歓待は無い。
確かにストーブは赤々と燃えているのですが、絵に描いた餅。
背骨は尻尾から脳幹まで氷の柱に変身。
震えながら直ぐに冷める熱燗と生ビールを交互に飲みましたね。
店内のお客さん、寒いから全員通夜の如く無言。
店主に言っても無意味なのは分かっているのに「おやじさん、ストーブの火力、もっと上げて!」と繰り返す魚住君。
そこを1時間ほどで切り上げ、一軒隣の居酒屋へ移動。
処が、新たな店は更に寒かった!
寒いと言えば、朝の通勤の車。
起床直ぐに暖気運転をしておくのですが、遅く起きますとその時間が無い。
雪かき棒で車の屋根やフロントガラスの氷を削ぎ落とす時間も無い。
こういう場合は、運転席側の窓ガラスを下げて、顔を外に出し、前方を見ながらの走行ですから、目・鼻・唇・耳・頬が凍てつきそう。耳はシモヤケに。
この時分には、フロントガラスに暖気が来て氷が融けだしますから顔を出さなくてもいいですね。
但し、ブレーキを踏んだら、屋根の雪がどっと前に落ちてフロントガラスを覆うのもこの頃。
やれやれ、今日も遅刻をせずに無事到着するか!
何しろ、自ら遅刻をしたら、部下に示 しがつきませんからね。
それから緩やかな上り坂。道の両側には赤い実をつけたナナカマドの並木。
坂を上った中央分離帯には、リンゴの並木。
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(書庫)
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