般若(鬼)の面が夢に出てくる!
私の履歴書・353
それは1990年の1月30日のことでした。
午後4時半頃、森口(仮称)総務係長が大きな声で言いました。
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「所長、亜子社員が人をはねたそうです」
「君ねえ、そういうことを簡単に言ってくれるじゃないか」
「代わりますか」
「おぉ、電話を回してくれ」
電話口からは亜子のしょげた声。
「所長、人をはねました。すみません」
「それで相手は大丈夫か?」
「命には別状ありません。でも脚を骨折したようです」
「救急車は?」
「今、来まして病院へ行きました」
「それで亜子、おまえは?」
「大丈夫です」
「今何処? 病院?」
「事故現場です」
「良し!分かった!直ぐ行く!」
札幌市内に詳しい山崎社員と電話を代わり、場所確認をしました。
白石区の平和通りだったと思います。
山崎君の運転する車で、森口総務係長を乗せて現場へ。
日没後ですから、車は皆ヘッドライトを点灯。
雪のせいもあり路面は明るい。
その路面は圧雪でテカテカ。
これは直ぐには停まらない。
当時のスタッドレスタイヤの制動能力はそんなに無い時代でした。
被害者は、救急車で月寒の病院に運ばれたと言う。
パトカーは未だきていない。
その日は交通事故多発で、直ぐに事故現場に来れないとのこと。
「こら、亜子。こんな道を一体何キロでぶっ飛ばしたのだ」
「所長、飛ばしていません。20kmから30kmです」
「それは珍しい」
「何ではねることになったの?」
「急に目の前に飛び出してきたものですから。
所長、あの人がはねたお婆さんの息子さんです」
「あんな老(ふ)けた息子が傍にいながら何故お婆さんは道路を渡ろうとしたの?」
「わかりません」
「それじゃ、私が聞いてみるよ」
私より若干年上。50歳弱でしたね。
「どうして、お婆さんはこんな所を渡ろうとしたのですか?」
「自宅は道路の向い側なので、一旦こちらに停車し、母を降ろして歩道にいてもらったのです。そこで後部トランクから荷物を降ろしているときに、小走りで道路を渡り出したのです」
「こんな横断歩道ではないアイスバーンの道なのに、何故止めなかったのですか?自殺行為じゃないですか」
「突然アレアレと見ているうち走り出したものですから、止めようがなかったのです」
「あなたの傍をすり抜けたのですか?」
「そうです。あっと言う間のことでしたから」
「うちの車のスピードは出ていましたか?」
「いぃえ」
「時速20kmそこそこと本人は言っていますが、間違いはないですか?」
「その位だと思います」
「バンバーの中央で撥ねたと申しておりますから、トランクの後ろにいたあなたの傍をすり抜けてから当たったタイムは、マックスで0.5秒ですね」
「そうですか」
「普通三歩で一秒の計算ですが、小走りですから恐らくうちの車が右手前方2m~3mに来た時に飛び込んだことになりますから、停止しようがない」
「そうですか」
それから運び込まれた病院名と住所を聞いて暫らく、亜子とその他の目撃者から事故状況を確認。
路面はアイスバーンですから、当たった時に足元が滑り、バンバーで足元をすくった形となったのでした。
それにしても前に倒れなかったのは幸いでした。前に倒していたら確実にひいている。
目撃者が笑いながら言いました。
「お婆さんは跳ね上がってフロントガラスに顔面を当て、それから車の屋根の上1m程に舞い上がって、上空でくるくる回転をしてからドサリと落ちたのですよ」
つられて私も笑ってしまいました。
着地が決まったらウルトラCですからね。
亜子に叱られました。
「私には、笑い事ではないですよ。所長」
「すまん、すまん。警察が来るのが何時か分からないのなら、とりあえず病院に見舞いに行くよ」
途中、果物の贈答用籠持参で月寒の柏葉病院へ。
病室でのお婆さんの顔には、デスマスクのような包帯。
脚は石膏で固められていました。
ひたすら謝るお婆さん。
息子さんの嫁さんが付き添い。
息子さんの職業は啓成高校の数学の教師だという。
亜子は翌日体調が悪いと言ってお休み。
翌々日もお休み。
電話をしました。
「どうしたんじゃ?」
「所長、会社を辞めさせて下さい」
「アホか。向こうが悪いと認めているのに何故亜子が会社を辞めなきゃならないのだ!」
「実は」
「実はとは何じゃ」
「出てくるのです」
「何が?」
「毎夜、夢に化け物が出てきてよく眠れないのです」
「何じゃそれ」
「お婆さんをはねたとき、フロントガラスにお婆さんの顔が当たったでしょう」
「たかが当たった程度じゃないか」
「それが違うのです」
「どう違うの?」
「般若(はんにゃ)の面だったのです」
「お婆さんの顔が般若だって? 般若は女性の嫉妬の顔だよ」
「目前のフロントガラスに叩きつけられた顔の目はぎょろりとむいて私を見つめる。髪は振り乱れて、鼻は押しつぶされて広がり、口は開いて歯はむき出し。それが毎夜夢に出てくるのです。恐ろしくて!恐ろしくて!」
またまた大声で笑ってしまいました。
成る程、運転席から一瞬そういう風に見えた事は想像がつく。
直ぐに亜子の自宅に行き、パジャマ姿で眉毛の無いノーメークの亜子と会いました。
「亜子の方が化け物じゃ!」
その日以降、般若は夢に出てこなくなり、亜子も通常出勤となりました。
この時は、軽い罰金刑で済みましたね。
私が札幌在職四年間での人身事故はこれ一件のみ。
その他の物損事故は、全道で軽いものが2件位でしょうか。
毎日全道支所の朝礼で「安全運転をしましょう」と言わせていた賜物です。
そうそう、忘れていました。
私が着任した1月に私が道東・弟子屈でドカンとやった事もありました。
(参考)
私の履歴書40代北海道編 目次