不発に終った柳の下戦略
私の履歴書・343
オホーツクの毛がにで最も思い出深いのは、札幌の我が事務所で食べた紋別の毛がに。
紋別から札幌までは思ったよりも近いのです。
片道270km 当時車で約6時間。
参考)都市間距離の測定
LL社札幌支店から電話がかかってきました。
「トロ箱の半分を買わないか」と。
当時、浜渡しのトロ箱一個5,000円。
半分の代金2,500円で買いに走らせました。
この毛がに一匹(一枚)の大きさは、子供の握りこぶしに毛が生えたようなもの。
これが重たいのです。
ずしり!とあるのです。
中に鉛でも入っているのでは?と思えるほど。
身はパンパンに張っています。重いはず。
味噌もびっしり! それに子持ちも。
半分で20匹はありましたね。
LL社札幌支店では、それから有志による酒盛りが始まると同様に、我が札幌営業所でも思わぬ酒盛りが始まったのでした。
注1)大き目の毛がにはセリにかけられ一般に流通するから高いのでしょうね。当時、この小さなものは、セリにかけられなかったようです。
さて、
LL社北見(営)牧田所長がブルー社と組んで我社の顧客を攻めると宣言されるも、我社北見(出)では、何事も無かったかのような例年通りの活動でした。
北見商業組合が参加する町の祭りや催し物の準備に人的応援。
北見商業組合婦人部主催の温根湯ホテル一泊の懇親会に招待され参加。
注2)左の写真の女性が婦人部長。
注3)ここでは八雲商業組合懇親会の洞爺サン・パレスでのようなチークダンスはしませんでした。
当組合ではLL社のライバルRK社商品を組合員である各商店に推薦していました。
だからLL社北見(営)では招待されていませんが、総会に祝電を打つことと、懇親会場大広間に金一封と瓶ビール1ケース持参で、お酌をして回りましたね。
この宴会場の雛壇のお膳に私が座っていたのですから、彼等が驚いたのは当然です。
我等の毎月の道東会議で北見に入った時は、塚本君にLL社の若手との飲み会をセットしておいてもらいました。
但し、LL社稚内(営)の若手に対しては戦略の話をしたのですが、ここLL社北見(営)の若手に対してはしませんでした。
彼等は、上司である牧田所長のランチェスター戦略を理解出来なかったし、動きようがなかったようですね。
LL社北見(営)の内部情報は、彼等からも入りましたし、北見商業組合事務局からも入りました。
各商店では、何か有りましたら直ぐに組合事務局に相談するのは常でしたから。
「敵を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」(孫子の兵法―謀攻)でしたね。
道東に出張し、北見の塚本君や釧路の車に同乗し移動した場合、途中、未だ入った事が無い温泉があれば、急停車。
私の場合、出張ですからいつもバックの中にはタオルが入っています。
彼等の車の後部には、風呂桶とタオルを常時積んでいました。
二人とも休日には子供達と温泉に行くそうですから、私と同様相当好きですね。
注4)屈斜路湖畔・コタン温泉・露天風呂は、当時は掃除が出来ていなく、浮遊物だらけに然もぬるくて入れたものじゃなかったです。
注5)同じく屈斜路湖畔・池ノ湯温泉・露天風呂には、コタン温泉に入れなかったから無理して入りましたが、当時は清掃する人がいなかったようです。
注6)屈斜路湖畔・和琴温泉天然露天風呂のこと(私の履歴書・275)は、以前記事で書いていましたね。
秋頃でしょうか、北見の塚本君から相談の電話が来ました。
「牧田所長がしつこくて困っている!」
「どうしたんだ?」
「売って一年もしていない機器を引き揚げてくれと五月蝿いこと」
「それで引き揚げた跡には何処のメーカーのロゴ機を入れるの?」
「我社製のロゴ機」
「ブルー社製ロゴ機じゃないの?」
「ブルー社は逃げたようです」
何事も無かったように時は過ぎていました。