稚内攻略が出来ない兆円企業

 
 
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     私の履歴書・334
 
1989年4月1日
 
LL社札幌支店牧田次長が稚内営業所所長として着任。
 
 
私、早速稚内に飛んで挨拶。
 
それから半年後の初秋、
牧田所長から電話が来ました。
 
珍しいこともあるものです。
牧田さんから私に電話なんて。
 
旭川まで来たら、稚内まで足を伸ばしてくれないか」というもの。
「何かあったのですか?」
「ちょっと相談したいことがある」
「何でしょうか?」
「来たら話す」
 
何かが起きたな?と思い、稚内に飛びました。
 
さて、
 
LL社稚内営業所の事務所の中の応接セットにて彼の言う相談とは。
 
「この稚内で群を抜く実績を上げたら次の転勤先は大きな営業所の所長。
故にウズマサさんに是非協力して欲しい」との内容。
 
現状は、
 
①ここ稚内では毎年ロゴ機の販売予算台数達成が道内で一番遅いか未達。
注)ロゴ機 企業や食品のシンボル・マークを塗装した機器
②今年度もチンタラして遅れている。
③今年度予算台数は37台だが、販売出来たのが僅か数台。
④このままでは年度内に到底消化は出来ない。
 
どうやら、稚内エリアではブラウン社がLL社の機器販売に積極的に協力する姿勢ではない。
 
それもそうなのです。
ブラウン社にとってほぼシェア100%の市場ですから、無理をすることは無いのです。     注)シェア 市場占有率 market share
 
どうせライバル他社は、この陸の孤島(当時)の稚内に手を出せる訳はない。
 
それにブラウン社はLL社ロゴ機の他に、 LL社のライバルであるRK社ロゴ機も製造販売しているからLL社にこだわる必要はない。
 
この稚内市場での主導権はLL社ではなく、間違いなくブラウン社にある。
 
 
事務室に隣接した会議室に入りました。
壁一面に模造紙を横5枚つないで描かれた稚内市内の道路地図が貼られています。
 
その地図には赤い点が数個あるだけ。
今年度ロゴ機を販売した商店の場所ですね。
 
「この部屋が秘密の場所ですよ。他の会社の人は絶対入れないけれど、水無瀬所長だけは別格だからね」
ランチェスター戦略ですか?」
「そのつもりだが、どうしたら良いのか水無瀬所長の意見を聞かせてくれないかね」
 
 
実は彼、その前年、LL社東京本社に講習で出張。
三泊四日で習ったものは『ランチェスター戦略』
 
札幌に帰っての週明け、LL社札幌支店事務所の真ん中にある応接セットで、早速その話となりました。
 
「水無瀬所長、『ランチェスター戦略』ってご存知ですか?」
「それでしたら10年前に田岡信夫氏が弊社本社に二度来まして講演をしましたよ」         参考)私の履歴書・111
 
「そんなに早くからランチェスターをやっていたのか」
「大企業は遅かったですね。ランチェスターを始めたのがここ5~6年でしょうか。代表的なのは花王石鹸と外資系企業ですね」
 
「それでウズマサさんの場合はどうでしたか」
「さあ、当時の支店長や所長は受講後『これは我社には向かない』とか言って無視していましたね」
 
「水無瀬所長は?」
「私は素晴らしいと思いまして、田岡さんの著書を7冊は買いました。
私の営業戦略は、孫子の兵法とランチェスターをミックスしたものです」
 
「それで結果は?」
「弱い地域ほど使えますよ。つまり逆転! それに営業がゲームになるから営業が面白くなります」
 
「一度実践したいもの」
「その時は私で良かったらお手伝いしますが」
「是非頼むよ」
 
こういう経緯がありましたから、彼は私を稚内に呼んだのでした。
 
イメージ 2(写真は大沼と利尻島
 
 
参考1)
私が北海道で言う「ブラウン社」とは、北海道ブラウン社㈱と称してブラウン社が北海道の企業を買収して創った企業のこと。
 
参考2)
LL社は、ブラウン社の販売した機器(旧機)を持っている商店に、LL社シンボル・マークの付いた新しいブラウン社製のロゴ機(新機)を販売する。
 
商店は、同じような機器は2台も要らないから旧機を処分する必要がある。
旧機が設置してから5年以上経過していた場合、廃棄処理で問題は無い。
 
他方、5店に1店の割合で、旧機は法定償却5年を経過していなく、残存価格がある場合が多い。
 
このような場合、ブラウン社では、旧機を商店から、或いはリース会社から残存価格で買い取らなければならない。
 
参考3)稚内市観光情報  ←ここをクリック