データに基づく確率論

 
 
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    私の履歴書・332
 
 
1980年代後半のこと
 
本州では、パトカーがスピードを計測する場合、一般車の後ろからですね。
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当時、北海道では、後ろからもそうですが、すれ違い時にも計測しました。
ですから、道内でスピード違反で捕まる率は、本州の二倍ということになりますね。
 
但し、いつも制限速度内で走行している御仁にとっては無縁の話ですが。
 
 
さて本文
 
前々回のNo.380での営業員の行動計画についての補足です。
私、営業員に対して一泊二日の温泉宿泊研修をしていましたね。
 
(参考1)
戦略教育としては『孫子の兵法』『ランチャスター戦略』
問題解決手法としては『TQC
事業の考え方としては、『大前研一(企業参謀)』と『ピーター・ドラッガー(マネジメント他)』
モチベーションとしては『ナポレオン・ヒル』『アール・ナイチンゲール
人生哲学としては『キルケゴール死に至る病)』
 
 
ここで欠けていたものは、具体的な行動数値です。
 
そこで、目標を達成するためには、何をどの位実行したらいいのかという量の目安の数字を求めるものとして、私なりに編み出したのが『確率論』です。
 
一般的には、ボーリングでは『アベレージ』、野球では『打率(アベレージ)』『防御率』、ゴルフでは『ハンディ』と称しますが、視点としてはこの逆です。
 
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例えば、A君がバスケットのフリースローで100回投てきし、成功ゴールが30回だった場合、彼の成功率は30%ですね。
 
200回投げた場合は、60回のゴールを期待出来ますね。
故に、100回のゴールを欲しい場合、334回投げてもらいます。
 
これを『確率30(%)』と呼びます。
これを営業の世界に置き換えたのが所謂『確率論』です。
 
例えば、B君が、過去2ヶ月間の日報を基にしたデータの場合。
 
①新規顧客訪問件数(a)................................800件(軒)
②それで出来た購入見込客件数(b).......120件
③結果、受注件数(c).........................................24件(=24台)
④⇒訪問件数対比受注率=c÷a×100(%)→24÷800×100 = 3%
 
⑤見込み客発掘率=b÷a×100(%)→120÷800×100=15%
⑥見込件数対比受注率=c÷b×100(%)→24÷120×100=20%
 
 
つまり、新規顧客訪問数を100件に換算すればB君の営業技術では3件の受注が可能と言う事を意味します。
 
これを『確率3(%)』と称します。
 
 
B君の月間目標台数が15台(件)の場合、B君の場合は確率3ですから、計画する月間の訪問件数は、(15÷3/100→)500件となります。
 
この500という数値が新規訪問の月間行動計画量となり、月間で消化すればいいのです。
 
処が、営業マンには色々と雑用が発生します。
 
ですから、月間稼動日20日間の内の10日間でこの500という行動数値を消化してしまわなければなりません。一日に換算したら50件ですね。
 
これをいつの日にやるのかを決めたのが、週間行動予定表です。
何故この数字が大事かと申しますと、
 
(1)  各営業員の数ヶ月間の受注台数をある程度読めること。
  彼の持つ見込み客数に上記⑥彼の見込み客件数対比受注率を掛けたもの。
 
(2)営業員にとって実績を求めることよりも、訪問数の消化の方が精神的に楽。
 
(3)この確率数値は、自分の営業技術レベルを知る一種のバロメーター。
 
(4)この確率数値を上げるために、色々な工夫や努力が生れる。
 
注1)この確率数値は、個人毎実力が違いますから、個人毎違います。
勿論、市場は刻々と変化していますし、それとエリアによっても違います。
この数値はあくまでも各自の行動量の目安とするものです。
 
注2)見込み客数が実績に直接反映する故に、実はこの数字が一番重要。
 
毎週のミーテングで、最もチェックしたのは、個人毎導きだされた確率数値に基づいての訪問件数の消化状況でしたね。
 
もしも、この訪問件数が不足の場合、目標達成意欲が無いと看做出来ます。
例え、受注件数が目標を達成したとしても同様です。
 
他方、あるエリアで訪問件数が目標数値をクリアしていても、受注件数が確率数値を下回った場合、そのエリアは彼にとって難しく、何等かの手を打たなければならないことになります。
 
 
余談ですが、家計で食費を抑えたい場合、スーパーに買い物に行く訪店回数を半分に減らしたら確実に家庭内での食費は下がりますね。
 
 
参考2)野村克也氏がヤクルト監督時代、データを重視するという意味の「ID野球」(Important Data)を打ち出したのが1990年。
 
野村監督の特徴は、キャンプ時から彼の理論を選手に教え、彼の考え方の浸透を図ったことでしょうね。
 
1992年以降数年間、『データ営業』として営業の世界にも彼の考え方が応用されました。私が札幌を去って、本社時代の時ですね。