うまくいかなかったわかさぎの佃煮販売

 
 
(写真はクリオン)
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                私の履歴書・317
 
 
当時、全国の商業組合では事務局維持の為に小物を傘下の商店に卸して商売をしていたのです。
 
私は、当初、根室商業組合に何とか貢献したいと思い、組合で花咲かにを取り扱うように要望しました。
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この花咲蟹でしたら、我社の全国の顧客に販売する自信がありました。
何せ花咲蟹は私の大好物ですから、私の熱意は格別です。
 
でも残念ですが根室の松谷事務長は、色好い返事をしてくれませんでした。
問題点が二つありました。
 
その1)花咲カニを大量に扱うには、地元の業者と提携しなければならない。
と言う事は、その背後にある密漁組織とも係わらなければならない。
 
その2)カニを食べて10年に一人の割合で死亡している。その責任は?
酢を浸けて食べてくれたらいいのだが、酢の嫌いな人もいる。
 
 
成る程、カニは種類を問わず確かにそうですね。
その昔、亡くなった人がいると父が言っていました。
 
幼少の頃、父は度々カニを買ってきました。
その都度「かにの口の周囲は絶対に食べてはいけない」と言われました。
理由は「カニは何を食べているか分からないから」だそうです。
 
 
そこで松谷さんのお勧めは、真空パック袋入り鮭フレークでしたね。
110g瓶6個入りで小売価格4,000円。大阪の各地商業組合卸価格が62%。
 
見本を大阪支店所属のBB営業促進部(OB)の皆さんに送るも人気が無い。
 
安いことは確かですが、「これが北海道!」というインパクトに欠けました。
然し、その他にといいますと、当時、これぞという特産物が無かったですね。
 
 
(写真は網走湖に手前が網走刑務所) 
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同じ頃、網走商業組合の佐藤事務長にも問いかけていました。
 
網走に、大阪人に好まれる特産物はないかと。
 
但し、ここ網走も釧路と同様、レッド社の牙城でした。
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我社の機器のユーザーは一軒だけ。
網走市街のはずれで能取半島に行く道沿いです。
 
釧路ほど全国的に騒がれなかったのは、このエリアの人口が少ないからでしょう。
当時の人口は釧路21万人、網走4万4千人でしたから。
 
 
ここの組合事務所にも度々訪問しましたが、他方、釧路と同様、最初の年は根室の松谷事務長、翌年は北見の岡本事務長の取り計らいにより、道東事務長会議での懇親会で佐藤事務長と一献交わしました。
 
 
佐藤事務長の年齢は当時35歳前後。
網走組合とレッド社(=RK社)との関係の深さは相当なものとのこと。
 
それはごもっともでした。
前年組合事務所新築の際、レッド社は組合に何百万円か寄付したそうです。
だから、三年間は待ってくれという事でした。
 
 
さて、網走の佐藤事務長に網走の特産物を列挙してもらい、あれやこれやと検討しました。
 
オホーツクと言いますと毛がにですね。
でも根室と同様、問題が起きた場合には対応できず、毛がには諦めました。
 
 
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たどり着いたのが『網走湖産・わかさぎの佃煮』でした。
 
これでしたら、常温で宅配便を使えますし、食中毒のリスクも無いですから直ぐに見本を大阪支店に送りました。
 
1988年初夏のことですね。
 
好評でしたね。
化粧箱入で1kg2,700円程だったと思います。
 
一匹が15cm~20cmの物が大半で、これに大阪の皆さんが感激したのです。
この見本をつまみにして、会議室で酒盛りをして大いに盛り上がったとか。
 
早速注文がきて一回の梱包が30箱前後。
これを三回大阪支店に送りました。
 
特に、大阪コテコテの堺商業組合員の商店の皆さんには大好評だったとか。
 
処が取り扱う時期が遅かったので、追加の注文には対応出来ませんでした。
品切れです。
 
翌年のシーズンは、わかさぎが不漁でそれに小振りのみ。
大阪支店から注文が来まして、確保出来たのが20箱程でしたね。
更にその翌年の私の札幌勤務最後のシーズンも不漁で僅かしか対応出来ず。
 
当時、毎年大き目のわかさぎの佃煮を確保出来たなら、全国各都市の商業組合を通じてかなりの量をさばけたはずですが、天然物だから量に限界があるのは仕方がありませんね。
 
 
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他方、1988年5月、網走商業組合総会と懇親会がホテル網走湖荘で開催されました。
 
 佐藤事務長はこの懇親会に私を呼んでくれました。
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業者を参加させたのは初めてですね。
 
お膳での座る場所は雛壇。
出席者は30人前後で、自社顧客は一人だけですが。
 
翌年の1989年の総会後の懇親会にも呼ばれました。
この時は、レッド社の社員と同席でした。
やはり組合役員からレッド社をも呼ぶように言われたのでしょうね。
 
1991年の春からいよいよ網走が解禁となるのですが、解禁直前の2月に本社への転勤辞令が出ましたのは残念でした。
 
 
注)掲載写真のクリオンと網走湖の二枚は、網走市経済部観光課観光振興係の許可をいただき「旅なび!網走」に掲載されている画像を使っています。