大雪の中、視界不良での走行

 
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前回のあらすじ)
 
函館に行く途中、函館の唯一の社員と遭遇。
日本海側に行くのに6時間もかかるという。
 
夜は函館の夜を満喫。
午前様で宿舎に帰還。
 
翌朝、寮長に朝食中、説教される。
 
 
 
        私の履歴書249
 
 しっぽりと説教されている時のテレビニュースでは大雪情報。
映し出されている映像は、函館から一本道の国道5号線の大渋滞。
 
恐らく午前中は除雪車で前に進めないだろう。
午後に函館をスタートすることにしました。
 
朝食後、自社の誰もいない郊外の函館出張所へ。
 
事務所の鍵はいつもかけていないという。
入り口で迎えてくれたのが蜘蛛の巣。
 
向かい合わせの6個の机の上いっぱいに変色した紙。高さ10cm。
何年掃除をした事が無いのだろうか。
 
Fax送受信の紙。書類。新聞紙。
その中の一枚を取り上げてみると3年前のもの。
 
つわものどもが夢の跡。
5年程前まで隆盛を極めた事務所とは到底思えない。
 
子会社時代、当時の役員は、何年この事務所に来なかったのだろうか。
函館を捨てていたのか!
 
 
 
後、デーラーの函館通信機社の山田社長と面談。
市場状況聴聞
 
この道南は、過去、我社の商品がNo.1のエリア。
今は、壊滅に近い状況。
 
それが前年1986年のNo.1はNブルー社販社で、シュアー(市場占有率)65%。
No.2がGブラウン社で35%。で二社の寡占状態。
 
これじゃ、手の打ちようが無い。
せめてもの救いは、昔販売した機器が、未だ商店で使用されていること。
 
 
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昼食を済ませて、いざ札幌に向かう帰路に着く。
 
内浦湾沿いの国道5号線は予想通り。
 
チンチンタラタラ。
 
国道5号線で、函館→大沼→森→八雲→長万部→豊浦。
 
そこから内陸に入る。
 
 
 
 
すっかり暗くなりましたね。
標高が上るにつれて、雪はどんどん降ってくる。
 
ヘッドライトで前を照らすも光が遠くまで届かない。
ルスツ高原を越えて中山峠に差しかかった頃には更に雪。
 
一刻一刻、雪は益々激しくなる。
隙間が無いほどの雪が舞い降りる。
 
ワイパーは、描く円弧が雪で狭くなる。まさに覗き見。
走りながら右手でフロントガラスの雪を払う。
 
いよいよ前方向の視界は、降雪が邪魔をし、降る雪しか見えなくなる。
見えるのは、左の路肩の除雪で積まれた雪のみ。
 
それも左前方2mだけ。
そこまでしか光は届かない。
 
助手席の死神さんは、時速20kmでは追突されるという。
盲目に近い状態で、仰せの通りほぼ時速60kmを保持。
 
左路肩の雪の微かな変化で、次のカーブとそのカーブの大きさを予測。
目測を誤り、反対車線に入った時には背筋が凍る。
 
対向車は皆無。
後続車も皆無。
 
中山峠の頂上まであと僅かの地点で胸騒ぎ。
この向こうで何かが待っている。
 
それに疲労。急遽、Uターン。
この時間、泊まれる所と言えば、50km引き返した洞爺湖温泉。
 
下りるにつれて、雪は穏やかになっていきました。
対向車はゼロ。
 
そうでしょうね。
この吹雪で夜の中山峠を普通車で越えるなんて異常ですから。
 
ひっそりとした洞爺温泉街。
一軒目はベルを押しても反応無し。
 
二軒目のホテルで泊めてくれました。
玄関は消灯していましたが、開けてくれました。
 
何しろ、午後11時を回っていましたからね。
夕食は、自販機での酒のつまみとホテルが用意してくれたおにぎり。
 
大きな露天風呂でした。
100坪は有ったと思います。
 
岩風呂風になっていて、一つ一つの岩の上には積もった雪。
裸電球一つ。天空から絶え間なく舞いおりる雪。風流でしたね。
 
尚、翌朝からの記憶は皆無。休日だった事は確か。
何処を走って札幌に着いたのか全く覚えていませんね。