聴衆を総立ちにさせた私の講演

イメージ 11983年頃の藤三商会㈱と言いますと、年商が600億円。
業種は、アイスクリーム(以下アイスと称す)卸。
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当時、最大のアイスメーカーは雪印で、アイスの年商は200億円。
他のメーカーは、せいぜい100億円強。中には20億円のメーカーも。
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参考)ロッテ・エスキモー・森永製菓・グリコ・明治・カネボウ・協同・センタン・オハヨー・赤城・井村屋etc.
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藤三商会㈱の大半の営業所は関西だけ。
にも拘らず全国の20%シェアー。
アイス業界としては化け物の企業でしたね。


私の履歴書・191

アイスクリーム業界開発で、一年生の笹山君が入り込めたのが藤三商会㈱の大阪北部の営業所。

急遽、二人の一年生を藤三商会㈱の二つの営業所に常勤させ、そこの所長の指揮下におきました。
つまり、彼等は、毎日、藤三商会㈱の営業所に出勤し、そこの社員として三ヶ月間働いたのです。

挨拶でこの営業所を訪問し所長と面談した時のことです。
「おたくの笹山君、うちの新卒と同じ私大なのに何故こんなに違うのですか?
何か特殊な社員教育をしているのですか?」

「さぁ~、どうでしょうか。社内の他の部署や他の会社の新入社員教育を知りませんからね。
私の教育を受けた笹山君に聞いて、貴社と比較してみたら如何でしょうか」


九月の終りごろのこと。

「水無瀬係長、今度藤三商会㈱の新年度全国会議が十月に京都本社で開催とのことですが、講演してくれませんか」 (注)藤三商会㈱の決算月は九月。

「何で? また急に」
「水無瀬係長をとことん褒めましたら、水無瀬係長に是非講演して欲しいから時間を空けて欲しいと所長が本社の本部長にお願いしたとの事です」

「お~、いいとも。七時間くれと言っても無理だろうな。でも四時間は要るよ」
「分かりました。交渉します」

出席者は、会社の役員と本社部課長・全支所長課長と子会社の役員・管理職で250人。
この聴講人数は、講演者として遣り甲斐があるもの。


この講演の件で、笹山君は藤三商会㈱の本社取締役営業本部長に面談してきました。

「水無瀬係長、40分しか時間がとれないと言っています」
「40分じゃ、子供の使い走り程度で講演の意味が無い。譲って二時間だな」

再度、笹山君は、藤三商会㈱本社へ。
「水無瀬係長、午後四時からの1時間40分確保しました」
「お~、それは上出来。その時間内に話をまとめるか」

「係長、この時間をもらうのに大変だったのですよ。是非連中が感激するような講演をお願いします」
「分かった! 任しておけ!」


いよいよ十月上旬。藤三商会㈱の全国会議当日。

京都・堀川通り五条下る西本願寺斜向いの本社講堂傍の控え室に午後三時着。
耳を傍立てて、会議の雰囲気を廊下から聞きました。紛糾しています。

会議スケジュール表を見ますと、私の順番まではまだまだ議題が残っている。
これはまともな時間に終りそうもない。

会議進行役の取締役営業本部長は、色白・京大卒で私と同じ年齢の38歳。
笹山君が呼ばれて会場内の本部長の元へ。そこで指示を受けました。

それは、私の持ち時間1時間40分を僅か20分に短縮してくれという内容です。
各々の議題で延びて無理もない。さもありなん。

私は、本部長にこう言うように笹山君に指示しました。
「私の時間は、この大会議室で行うスケジュールの最後にして欲しい」



さてさて、私を呼びに来たのが午後七時。
持ち時間は、僅か20分。

ゆっくりと歩いて、講堂の扉を開けました。
会場はざわざわ。急遽、皆の要望でトイレ休憩が十分間だそうです。

私は、本部長に言いました。
「これから壇上に上りますが、開始はご指示通りの七時十分ですよ」

壇上の黒板をきれいに拭き直し、赤白のチョークの本数を確認。
会場を見渡しました。

聴衆の半分以上の者の机の上に物が無い。又は片付け中。
帰り支度で書類やノート類はカバンに仕舞っているのです。

成る程、私の講演を馬耳東風に聞き流すつもりか。
皆、トイレにも行ったばかりだし。

この会社のノウハウや内情は、二人の一年生からしっかりと事細かく報告を受けている。
これは面白くなった! しっかりと観ていろよ! 一年生の笹山君よ!


                    つづく


参考)藤三商会の記事の続編
私が西本願寺前の藤三商会本社で行った講演での出来事です。

■ No.192《講演は、最初の数行が勝負》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/58617912.html

■ No.193《聴衆の挙手は心臓に悪いですね》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/58627199.html




参考)

藤三商会㈱は、資本金6億円、従業員776名(2003年10月2日当時)、子会社も入れて900名。
売上 1,363億3,400万円(2002年9月期)の中堅商社であった。

2003年11月8日、事業停止。