凡人でも危うきに近寄らず

イメージ 1
今日から十月。
.
今年も残るは三ヶ月。
.
この僅か一ヶ月間で、何か大きく動き始めたのを感じますね。
.
従来の自公政権は、いかに退廃的なものであったのか!
.



私の履歴書・187

話を元の一年前に戻します。

1983年、中国自動車道が下関まで全面開通。
下関に仕事を作って、当時一年生の笹山君を連れて行きました。
流石に名神高速道路の開通当初と同じで、走る車は影も形もなし。

下関の宿泊は、いつもの高台の国民宿舎。ここから関門海峡を見下ろせます。
畳の部屋で浴衣に着替え、二人で大浴場に出かけました。

部屋のテーブルには百円玉を五枚と十円玉が少々。無論、部屋には施錠して。
風呂から上がり脱衣所で笹山君が騒ぎ出しました。

「鍵が無い!」

すかさず、「急げ!」と二人で走り出しました。
部屋は二階。階段は二ヶ所。

「笹山君はこちらから上れ! ワシは向こうから上る!」
階段を蹴上がるも私は誰とも会わず。部屋の鍵はかかっていました。

支配人を呼んで、部屋を開けさせました。
私の置いたテーブルの上の百円玉の位置が、心持ち、ずれている。

バッグの底に入れてある私の財布は無事。
処が、笹山君が叫びました。

「やられた!」

彼の財布には千円札が三枚のみ。
階段を上がる時に、笹山君は、中学生位の男の子とすれ違ったそうです。

いやいやながら、支配人は警察を呼びました。
警官が二人来て、現場調査と被害届けの作成。
被害届額二万五千円。夕飯は午後十時。


その出張から帰って間も無く、国民宿舎から現金書留。
盗難保険をかけているので、それが下りたのだそうです。

一ヶ月程してから、下関署から会社に電話が来ました。
犯人が捕まったと言うことです。笹山君がすれちがった中学生でした。

警官は不思議そうに言いました。
「子供は、盗った金は一万円と言っているのですが二万五千円で間違いなにのでしょうか」

笹山君と代わりました。
「間違いありません。三万円を銀行で下ろして煙草を買って万札一枚を崩したのですから」
「間違いないですか? こういう場合の子供は、嘘は言わないのですがね」
更に「何に使ったかは一万円分の裏付けはとれているのですが、差額の一万五千円の裏はとれないのですよ」
「そんな、盗んだ金の使い道を私に問われも」

この子は警察でと両親にしっかりと怒られたでしょうね。
無論、両親が宿に二万五千円を返したそうです。



他方、
この1983年(昭和58)7月23日の夕方の事です。
浜田市の洪水記録より、月日が分かりました)

松江市での仕事を終えて、日本海沿いの国道9号線を西へ。
江津市の出口の商店で停車。その夜の宿泊予定地の浜田市にあと15km。

店頭で商店の小母さんと四方山話をしていますと何か変。
向こうの空にピンポン玉程の黒い影。

空全体は薄い夕焼けなのに。
でも、遠くの浜田市の上空にだけ、黒い気球が降りている。

その黒さは、半端な黒ではない。真っ黒。
悪魔が降りてきたような。

「小母さん、あれ何じゃ?」
「なんだだ!!? あげな??おぜな!!」
「わたしゃ、逃げる!」

直ぐに国道9号線を引き返し、江津市から国道261号線へ。
中国山脈を横断し、日本海側から瀬戸内側に逃げるために。

田舎の三級国道ですから、走っている車は無い。
背後に悪魔が迫って来るような不安が襲う。飛ばしましたね。

山の中、真っ暗闇。峠に入りました。
前方を照らすヘッドライトが心もとない。

ぽつりぽつり落ちてきたと思ったら、一気にドバ~~~
バケツを引っくり返したような雨。

構わずアクセルをメイチ。とにもかくにも逃げなきゃ。
それを20分間程で抜けたときは、助かった!と思いましたね。

案の定、その夜、浜田市は大洪水で五日間程、陸の孤島でした。

広島から本社に転勤後、どうやら中国地方は鬼門となったようです。
尚、広島出張の時の記事の一部は私の履歴書111に述べていますね。


余談ですが、1972年(昭和47)頃、高崎の兄の家から京都に帰る時の事。
雨の中を出来て間もない碓氷峠バイパスを車で上って行きました。

午後三時頃なのにもう暗い。それもそうです。走っているのは雲の中。
土砂降りなのですが、雨は下から降って来る。

更に登って行きましたら、ピカッ!バァ~ン! ピカッ!バァ~ン!
稲妻が車の直前や真上を真横に走る。連続して。

生きた心地がしなかったですね。
でも、登山をしているeru-abiさんにとっては、何度も体験していることでしょうね。