私の二度目の過ち

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企業というものは恐ろしいものですね。
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日本の有数な大企業とは、かっての社員の汗と血と犠牲が原資。
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今から40年とちょっと前のこと。
その時、定年が迫ってきたある企業の工場管理職の話。
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「大正創業期、ある特許で今日の元が出来ましたが、実はそれは社員が考案したもの。然も、その社員を直ぐに辞めさせたのです」
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それが神様と崇拝されている!


私の履歴書・178

1981年(昭和56年)

小橋所長が赴任して来た頃からの私の仕事の主流は、商店への直接販売から卸し販売へ変更。
我がFF営業部の方針変更で、量の販売=売上額至上ですね。

私の売上額の過半数が、広島に本社のある販売会社(L)へのM食品ロゴ入りM機の卸し。
卸し価格が@35万円~@50万円。実績は毎月70台~140台でしたね。


他方、その販売会社(L)の社長の弟が5人で独立。機械を分けてくれと言うのです。
そこで、従来のC食品のC機を販売してもらいました。

処が、彼等の契約した先に作業員が納品に行きますと納品を拒否される。
彼等の売り方に問題があったのです。はっきり言えば、営業力が無い。

已むを得ません。月間五日ほどですかね。
私がパワーゲート付の2トン車に機械を積んで納品作業をしました。

彼等の営業は、とにもかくにも契約書に印鑑を貰うだけ。
「もしも不要なら、納品に来たら人に断って下さい」 との条件付契約ですから。

その彼等のいい加減な契約を正当な契約とするのが私の主業務でした。
当初は、何とか、9割まで納品出来ました。

間も無く、彼等の営業力では売れなくなりました。
そこで彼等は瀬戸内の島々に販売に行ったのです。

当時、営業マンは島に入ったらお仕舞と言われていたにも拘らず。

何故お仕舞かと言いますと、島の住民は、外の者に無防備。
それに小金持ち。営業が簡単過ぎるからです。

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彼等は、島々を駆け巡りました。
先ずは、呉から江田島能美島倉橋島の三つの島へ。(上の写真の左半分の島々)

まともに納品出来たのが倉橋島の最南端と橋でつながっている鹿島で一台。
それと、川尻町仁方からのフェリーで行く下蒲刈島で一台の計二台のみ。


次は、尾道から島に入りましたね。(上の写真の右半分の島々)
無論、当時、島と島の間には橋は無く、フェリーですね。(赤い○の所ががフェリー)

私、朝、宇品の倉庫でトラックに四台を積み尾道へ。(写真、右上端)
そして、→向島因島生口島大三島伯方島とフェリーで渡りました。




処が、彼等の契約した先に訪問するも、悉く納品を断られました。

最後の香川県伯方島に着いたのが夕方。帰りのフェリーはありません。
それに民宿は季節外れで休業中。田舎に泊まろう!は出来ませんでした。

已むなく、フェリーの伯方島の駐車場で一夜を明かしましたね。
食堂も無かったですから、夕食は缶コーヒー二本。
うとうとしていましたら、白々と夜が明けてきましたね。

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最悪は、彼等の隠岐の島での営業。(写真の左上の島
私、C機三台を積み込んで夜中に広島を出発。

そして島根と鳥取の県境に近い七類港から朝九時のフェリーに乗船。(右の写真、赤の矢印)
辛うじて間に合いました。この船が隠岐の島の西郷港まで直行で当時所要時間三時間。

もしも、これに乗り遅れますと、七類港から各島の港に寄ってから西郷港に到着の右回りの船。
これの所要時間は六時間。(右の写真、青の矢印)

フェリーの船底の畳に寝転がっていると、我が身は右や左にゴロゴロ。
結構海は荒れましたからね。

西郷港から上陸し、目指す納品先へ。狭い道を通りました。島に小川と橋があるのには、びっくり。
契約先の三軒共に、いい加減な契約内容で、結局、三軒共にキャンセル。

この時、隠岐諸島の史跡訪問などとは、思いも寄らなかったですね。
中ノ島・海士には後鳥羽上皇、西ノ島・別府には後醍醐天皇が流された所ですからね。

実は、連中の営業のいい加減さに腹が立ち、それに、船酔い気味と天候曇り。思考回路停止。
但し、海の色が群青だったら話は違っていたかも。残念!


こういう連中が契約したものの、C機を納品出来た地域は飛び飛び。
それに、町の問屋がせいぜい月に一度位しか訪問しない辺境地ばかり。

何処も食品の配送を依頼されましたね。
そこで、ダンボール入り食品を扱う事にしたのです。

東京時代の悪夢が蘇りましたが、あれは異常な事。
もうあのようなことは起きないだろう、と思いました。甘い考え。

それに、ルートの途中の商店にも食品の売込みをして配送ルートを作りあげました。
せっかくガソリンを焚いて食品を配送するのですから。

間も無く、食品の月間売上高は200万円に。
食品の配送にアルバイト運転手を雇用しても毎月の利益額は20万円残りました。

そして年度末。
本社から管理部門の課長が来て棚卸です。

びっくり仰天、食品在庫の数字が、帳簿と80万円合わないのです。
つまり、80万円の食品が、倉庫から消えていたのです。

半端な金額ではありません。
原因不明! 私、真っ青!
                              つづく