この腰軽さ 痩せているからかも

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日本の歴史が変わる8月30日まで、
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あと三日ですね。



私の履歴書・171

毎月一回、本社で我がFM営業部の会議がありました。
東京支店から福岡支店に転勤した金魚の糞が、福岡支店BB課からFM課へ転属。

会議の前日に博多から山陽新幹線自由席に乗車。私の席を確保。
私は、広島から乗車して自由席で合流する訳です。

新大阪までの二時間は、缶ビールで乾杯。
まあ、二時間もしっぽりと話をしたものです。

更に宿舎には荷物を置いて、それから再び呑みに街に繰り出すのです。
飽きもせず、よくぞそんなに話す事があったものですね。

宿舎に帰るのは午前様。
キュ~バタンで就寝なのですが、私の場合は、毎回、会議用書類を広島で作成してきていない。

「よし! 午前四時に起きるぞ!」と自分に号令をかけて眠ります。

あな、不思議や不思議。午前四時にキッチリと目が覚めるのです。目覚まし無しで。
それから枕を抱いて電卓片手。三時間かけて書類作成でしたね。

会議はいつものパターン。
東京支店FM課と名古屋支店FM課の二名が本部タケちゃんマン課長の槍玉に。
「ばか!」「あほ!」「能無し!」の怒号。

それでも、他所の東証一部上場企業連中の営業会議よりはマシ。
彼等の会議では、灰皿が飛ぶし、辞表出せとやられるのが常だそうですから。

それもそうですね。販売の成績には、社員の他に下請けの社員、それに家族を合わせましたら、半端でない人数の生活がかかっているのですから。


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当初、本社の廊下で東京支店BB課の課長とすれ違いましたら一言。
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「東京では水無瀬さんの人気はすごいですね。お客さんの皆さん、水無瀬さんはどうしていると聞いてきますよ」
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次回に会った時は
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「水無瀬さん、お客さんが水無瀬さんに相談すると言っていましたから、広島営業所に電話がいったら宜しく!」


その次に会った時は
「水無瀬さん、お客さんから広島に電話がいったら、断ってくれませんか。お客さんが『水無瀬さん、水無瀬さん』って言って話を聴いてくれないのですよ」
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更に次に会った時は
「水無瀬さんのような営業は、到底私達には出来ません」

笑いましたね。
お客さんから、私の事を色々聞いたのですね。

私の場合は、どんな訪問にしろ、持参するものは、名刺入れと細書きのサインペンのみ。
カバンやカタログ等は、車の中。

訪問しての言葉はニ言。

一言目「毎度ォ~、水無瀬ですけど、商売の調子、如何ですか?」
二言目「何か困ったり問題があったら事務所に電話を入れておいて下さい。飛んできますから」

拠って、一軒の訪問滞在時間は、せいぜい20秒。

例えば、東京の場合、都心部から八王子に行く場合は、2時間早目に出る。
途中、この調子で50軒くらいの訪問は軽いもの。

これが好評でしたね。
相手も商売中で忙しいのに、営業マンに居座られたのでは商売の邪魔。

私の場合は、いやにあっさりしたものですからね。
やって来たと思ったら、ものの十秒そこらで去ってしまう。

人間の心理とは面白いもの。
逃げる者を追いたくなるのですから。

何度目かの訪問の時は、「待っていましたよ」と言う事になる。
あるいは、事務所に電話をくれるようになる。

このような場合でも、持参するものは、名刺と細書きサインペン。
店の中にある新聞の折込チラシの裏に、先ずは相談の内容を書く。

その文字を丸で囲み、何本かの矢印で幾つかの解決案を描く。
それから店主を道路の反対側や、離れた場所に連れて行く。

自分の店を改めて外から客観的に見つめてもらうわけです。
その際、もう一枚のチラシの裏に、道路沿いの店をスケッチ。

店内に戻り、店内のレイアウトもスケッチ。

どうしたらどうなるかを、その絵の上に矢印を引いて書く。
色々な質問も、都度、その紙に書き、回答も書く。
他の店の成功事例や失敗事例を織り交ぜながら。

さてさて、それまで書いた紙三枚~四枚を店主に渡し、おいとまする。
「今晩、奥様と充分検討して下さい。お返事は、明日、お聞きします」

これで、100%受注でしたね。

何故に、書いたチラシを渡してあっさり去るのかと申しますと、

その一、店主は、その紙を見て、私との会話をありありと思いだせる。
そのニ、店主は、奥さんや家族に説明するのに、私の立場になってチラシの絵を見せながら私の話した通りに喋る。

つまり、店主が私に代わってセールスをしてくれていたのです。