神の思し召しは、新車にドスン

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人間の運命って不思議なものですね。宿命なのでしょうか。
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ほんのちょっとのことで、その後が大きく変わっていく。
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今まで、意識的にしろ無意識にしろ、何万回と言う小さな選択の積み重ねの結果、今日と言う私がいるのですね。
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若いとき、車のアクセルを少しだけ踏むか踏まないかの小さな選択。
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もしもあの時、踏まなかったら、どうなっていたでしょうね。



私の履歴書・169

この年(1979年)に、車を手放しました。 ボーナス大幅カットに手当て等カットで、ただでさえ安給料。
車検代に保険料、それに毎月の駐車代。払えるものじゃなかったですからね。

手放したのは27歳(1972年)に購入した自家用車サニー1200クーペGX5。
この車で京都発、南は下関に四国。北は十和田湖ですね。

全走行距離は10万キロ。但し、最初の二年間で7万キロ。
足掛け8年も乗りましたからね。この頃、8年も乗りましたら、手放し価格は一万円でした。


この車、殊更思い出深いのですよ。

この新車が来る五日前に、下取りに出すサニー・エクセレントのドアを当てられて、相手から四万円の修理代を貰ったのです。

営業マンの好意で、ドアを板金せず、そのまま下取りへ。
この四万円儲かったのが悪運の元でしょうかね。

京都河原町で引っ掛けた女子短大生と意気投合。
休日、ドライブをする約束をしました。

新車がきて三日目がドライブの当日。
朝、喜び勇んで山科(やましな)から待ち合わせ場所の富野荘駅城陽市)へ向かう。

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宇治市内はいつもチンタラ混みますからちょっと迂回。
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路地から市内のメイン道路に入ろうとしました。
相変わらず奈良方面への下り線は大渋滞。
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上り線は何も車が来ませんから路地から下り線に入ろうとしました。
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処が、それまで寸刻みで動いていた下り線がピタリと停まりました。
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私は、割り込めず、上り車線に停まったまま。
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私の車は、バックしようにもバック出来ない。
後続車が後ろにピタリ。
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信号の遙か向こうから、トロトロゆるい下り坂を降りて来る軽四。
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早足の人と同じ位の早さですから時速10km弱でしょうね。


窓から肘と顔を出し、見ていました。
相変わらずトロトロ近づいて来ます。

10m先では、そろそろ停まらなきゃならんのう。
5m先では、もう停まらなきゃ!

それから私、ぐっと窓から半身をせり出しました。
こりゃ、どうしたことじゃ! 2mに接近しても、スピードは落ちない!

スローモーションのように、軽四は、私の車の右前輪泥除けを押す。
目の前で、ゆっくりと、真っさらピカピカの私の車はへこんでいく。

何で? 何で? どうしてこうなるの? 
万事休す!

軽四運転手は、30代後半の女性。
お子さん二人で亭主が公務員。

急いで引き返し、日産サニー山科営業所に車を入れて彼女の下宿先に電話。
電話に出てきた若い小母さんに事情を説明。 これから電車で富野荘駅に向かう旨を伝える。

電車に飛び乗り、富野荘駅に降りたのが二時間遅れ。
彼女の姿は見当たらない。

再度、下宿先に電話。下宿の小母さん、
「預かっている大事なお嬢さんを、もう誘わないで下さい」

ひょっとしてと思いまして、二時間、その駅で待ちました。
乗降客の少ない駅。何本の電車が停まったことやら。遂に現れず。

彼女の下宿先に再度電話。ガチャンと切られました。

トホホ!

なかなか素敵な女性でしたのに。
アクシデントでこのような事になりますと、より一層素敵な女性に思えるのですね。



尚、妻と交際が始まったのは、これから数ヵ月後のことでしたよ。念の為。