こうして、問題は解決しました

イメージ 1.
交渉の場に於いては、本音と建前をどう見分けるのか。
.
難しい問題ですね。
.
今回は、冗談を冗談として見過ごしたらいけないという例です。
.
冗談は、一種のフェイントでもあり、時には本音でもあるのです。
.
貴重な体験でした。

【改めて登場人物 略解】...(注)人名等は、全て仮称です。

S電機広島営業所 松山主任→ C食品担当。四国の名家の出。Kボーイ。
S電機広島営業所 和泉係長→ 松山主任の上司。なかなかの戦略家。

C食品→ 当時の年商300億円程。現在、連結で年商3,000億円。
C機→  C食品のロゴ(シンボルマーク)の入ったマーク機。
 
広島・宇野食品 宇野社長→ 通称『宇野将軍さま』 C食品が弱小の頃からの取引関係
              中国地方では、隠然たる勢力を持つ。『宇野天皇』とも言われていた。

我社本社FM営業部宮本課長→ 別称『タケちゃんマン』。私の直属上司。


私の履歴書・168

1979年(S54)春

宇野社長の怒髪天。無理もありません。
つい先日まで、我等は宇野食品の販売したC機を各商店から撤去。

その跡にマーク無しの機械を販売・設置していたのです。
これだけでもお怒りは尋常ではない。

それが突然、勝手に宇野食品専売のC機を販売し始めたのですから。
宇野社長の何の了解も無く。

先ず、宇野社長は、C食品の本社に電話。
困惑したのはC食品の取締役や部長連中。

詰る所、C機展開の総責任者は、新鋭野口課長との由。
その野口課長の回答は、現地同士で解決せよとの由。

これじゃ、埒(らち)が開かず。
C食品広島営業所からも期待する回答を得られず。


然らばと、宇野社長は、同業者グループに電話。
九州・四国・近畿・東海北陸・関東の業者へ片端から。

各地の業者は、我社の出先各地のC機担当者に連絡。
広島の宇野社長が我社のことをボロカスに言って騒いでいるとの旨。

各地の業者の宇野社長への回答は、『我等の会社は有益』または『無害』。
『有害』と言う回答は何処も無い。ここでも宇野社長にとって埒(らち)があかず。

残る怒りの矛先は、S電機広島営業所の松山主任。一点集中。
松山主任、連日、広島駅裏の宇野食品事務所に呼び出される。

松山主任、仕事にならん!とぼやくことしきり。
私を見る目は、まさに仇。

ようやく宇野社長が交渉の土俵に上ったのが一ヵ月後。
松山主任の仲介で宇野食品の応接間。宇野社長との初顔合わせ。

お互いに顔を見合いながら、顔に刻まれた数々の皺(しわ)をしげしげと見入る。
こんなに接近したのは初めて。宇野社長はゴルフ焼けで黒い。

お互い無言。でも、各々、身体から滲み出てくるもので分かる。
松山主任は、場をとりもとうと必死のおべんちゃら。それも空しく物別れ。

以後、一ヶ月弱毎に面談。お互いの主張で三度目の面談も空しく終わる。


四度目の時ですね。
大手町のS電機広島営業所で待ち合わせ。

S電機では松山主任に新たに和泉係長。こちらは宮本課長と私。
松山主任の運転する車に乗って四人で宇野食品に向かいました。

車中、「今回で話がまとまらなきゃ、もうお手上げだね」 と和泉係長。
これまでの松山主任の書いた数ページの報告書を車中で読み上げました。

和泉係長 「松山主任、これが君の報告の全てだね」
松山主任 「はい、そうです。そうですね水無瀬主任」
私    「そうですが、一つ、抜けていますね」
松山主任 「何か抜けた重要な事がありましたか?」
私    「帰り際、宇野社長が一台につき一万五千円ならと言ったでしょう」
松山主任 「あれは、宇野社長が冗談で言ったのですよ」

一瞬静寂後、

和泉係長 「馬鹿もん! 何故、それを報告しないのだ!」
松山主任 「応接室を出る時に、宇野社長が冗談で言ったことですよ」
和泉係長 「冗談の中にこそ、本音があるのじゃ!」


まさに、その通りでしたね。
S電機広島の和泉係長の新たな提案。何やかにやでもめましたものの、

『二年間、我社の広島エリアでのC機販売一台につき一万円を宇野食品に払うこと』 と
『納品先を宇野食品に毎月報告すること』で合意。

冗談が、いかに重要かを知らされた出来事でしたね。
その二日後の夜、S社主催で宇野社長を接待。料亭での乾杯となりました。

この会席での宇野社長の冗談。
「今回の件だけで電話代が十万円ほどかかったよ」

全員、大笑い。恐らく、十万円では済まなかったはず。