伸びる企業には他の企業にとっての逸話がありますね

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今日から八月。
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梅雨が未だ明けませんから、暑中見舞いは無しで残暑見舞いを出すことになりそうですね。
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さて、
1978年春、広島着任当初、
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私の心を悩ませたのは広島弁。
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特に、「しんさい!」という言葉でしたね。


私の履歴書・162

「しんさい!」と言われますと「しなさい!」という命令に聞こえます。
が、若干ニュアンスは違うようです。

「してはどうですか」「した方が良いですよ」という意味も含むのですね。
当初は言われる都度、命令されっぱなしで、ムカッと来ましたね。

怖い言葉が「おんどりゃ」(おまえ)
なかなか覚える事が出来なかった言葉が「えずい」(賢い) 「あずまし」(苦労・面倒)。 

広島旧市内でも、北の山手は郡部の方言。南の海沿いは漁師言葉。
原爆で空白になった土地に、山から海から人々が移住してきたからなのでしょうか。


悩ませた二番目が、「YES」「NO」をはっきり言わない事。

これが、広島での商売が難しいと言われる所以ですね。
難しい都道府県は、広島の他では、岡山・香川・愛知でしょうか。

駅裏の空き地で新しく商売をしたいという人から問い合わせがありました。
着任早々、DMを多方面に発送していましたからね。

お客の指定する自宅訪問時間は午後八時。
夫婦に約二時間半の説明をしました。

帰りしな、「次は、明後日の午後九時に来て欲しい」というのです。
これは、間違いなく契約できるぞ!

指定日の午後九時訪問。お客との質疑応答が主。
納得していただきまして、契約書を取り出しますと、後にしてくれと言います。

そして数日後の午後十時に来て欲しいとの事。
今度こそ、間違いなく契約できるぞ!


訪問三度目、ここでも質疑応答が主。私、半分眠たい目をこすりながら。
ほとんど今までの繰り返しの内容。で、またまた午前様。

不思議でしたね。三回も呼び出しておいて、全く進展しない。
四回目訪問の時に、右か左かを詰めまして、結果、お流れ。

辰巳所長に言わせれば「末永い付き合いをしましょう」と言うことらしい。
これが、広島での商売の難しさかといたく感心させられました。



私の部署の取り扱う商品は、自社工場での生産する機器ではなく、家電大手Sメーカーが生産する業務用機器。

市場がこのような市場なら、顧客が白黒の明確な意思表示の出来るものを販売しなきゃ時間の浪費。
従来の機器に無い機能を付加した製品が必要でした。

そこで、Sメーカーから、二台単位で仕入れて、営業所倉庫で木枠梱包を外し、自分で改造。
一台改造するのに約二時間。午後九時頃から始めましたら午前一時。

それを翌日、@45万円~@60万円で販売。
再度、二台仕入れ。この繰り返しでした。

この様な日々が続きました或る日、見かねた辰巳所長が自社関西工場と交渉。
メーカーから30台単位で関西工場に入れてもらい、工場で改造。

それを11tトラックで広島営業所へ。
これで、改造の労苦は無くなりました。助かりましたね。



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余談(1)
この頃、東京で我が営業部が卸しているある販売会社が、広島に支店を出しました。
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当初の営業マン数は10名。彼等は、私と全く同様な目に逢うのです。
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関東のように、白黒のはっきりする市場とは違って、灰色。
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「広島などは何のその。我等の営業にかかれば赤子の手をひねるようなもの」と啖呵を切っていた彼等。一ヶ月経っても二ヶ月経っても契約数は僅か。

広島から撤退かと言われました。でも、プライドが赦さなかったのですね。
関東から50名の営業マンを広島に出張させ、1チーム5名での営業展開。猟犬法ですね。

二日間、受注ゼロ。
三日後、遂に下記の命令が営業マン全員に下されました。

「本日、契約をとらずしての帰社はまかりならぬ! 契約を取れるまで訪問せよ!」

彼等は、午前二時までも、商店のシャッターを叩いたのですから。
全チームが契約出来ました。

この時得ました販売のノウハウで、全国展開をしましたね。
尚、丑三つ営業での各チームの苦労話は「広島戦争」と称して、語り継がれました。



更に余談(2)

成長した企業には、同じ様に語り継がれる良い逸話がありますね。
例えば佐川急便の場合。

法人となる前の1960年代前半でのこと。名神高速や、今の国道1号線が無い時代。
連休で京都⇔大阪間の道路が大渋滞の或る日。

京都の重機メーカーが、荷物の発送を忘れてしまいました。
その荷物は、その日の午後一時まで大阪に届けなければなりません。
然も、重量100kg。

どこの運送会社でも引き受けてくれません。大渋滞で間に合わないからです。
それでも引き受けたのが佐川急便の初代佐川清氏。

彼は、その100kgの荷物をかついで電車で運んだのです。
請求の運賃は、通常の運賃。


佐川急便のもう一つの逸話。この話は1980年頃ですね。

大型コンピューターメーカー福岡支店が、熊本で行われる展示会の為の荷物の発送忘れ。
それに気が付いたのは、展示会当日の午前一時。

あちこちの運送会社50社に電話をしても誰も出なかったり断られたり。
午前二時、電話が通じて引き受けてくれたのが佐川急便。

急遽、佐川・福岡のドライバーを起して、福岡で荷物を積ませて、熊本の展示会場への納入が午前八時。
それからセットし、稼動テスト完了が、展示会が始まる午前九時丁度。セーフ。
この場合でも、請求は、通常料金。

このような、絶体絶命のピンチの時に助けてもらった企業は、美談として語り継ぎますね。

佐川急便はその後、色々な問題を起しましたものの、今では売り上げ8,000億円。
従業員36,000人の大企業ですね。


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