大型トラック・排気ブレーキの恐怖

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人間の運命とは不思議なものですね。
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あの時が無かったらこの時も無かったろうに。
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小さな出来事一つで、全く違う人生を歩むのですからね。
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無論、広島に転勤をしなかったら、息子は生れていなかったでしょう。
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それにしても、遙か有史以前に、何か一つ違ったら、私という存在はこの世に無かったのですから。

私の履歴書・160

1978年3月。本来は広島に一度行き、家探しをしなければならない。
でも、山村部長は、いつもの調子良さ。

「水無瀬君、家探しは心配するな。ワシが広島の辰巳所長にちゃんとお願いしてあるから、広島には事前に電話なんか一切しなくてもいい!」

更に「君は何の心配も無く、奥さんとお子さんを連れて広島に入ったらいい」
広島営業所に電話をしたらいかんと言うのですからね。

月末近くに、大阪から埼玉県の和光市のアパートに一旦帰りました。
そして会社の運送業者のトラックに家財道具一式を積み終えたのが夕方。

自家用車サニー1200クーペGX5で3年7ヵ月住んだアパートを去りました。
妻と三歳の娘を乗せて。

途中、都内の田上支店長宅に挨拶。
支店長のお嬢さんが娘と遊んでくれました。

夕食代わりの握り寿司をご馳走になり、おいとまをして東名高速道路へ。
もうすっかり暗くなっていました。高井戸では午後八時頃だと思います。

時速120km前後で走行して午後十時半を過ぎた頃でしたね。当時の東名は、ガラガラでした。
前後視界に見えるのは前方の11tトラック・アルミバンのみ。

時速110kmで走行中の11tトラックを140km程で追い越しました。
スピードを120kmに落としましたら不思議な事に次にはそのトラックに逆に追い越されたのです。

私を追い越したトラックは強引に私の走る左走行車線に入りました。
トンネル直前。車間距離20m。

とたん、トラックの後尾が迫る。ブレーキランプの点灯無し。
トラックが排気ブレーキをかけたのです。

目の上にトラックの後部。ピストンフットで急ブレーキ。
タイヤの悲鳴!「ギャ~」「バァ~ン」と衝撃音。

トラックへの追突は寸前の所で避ける事が出来ました。
処がタイヤのパンク。何処がパンクか不明。

前輪ではなく後輪であることを祈りましたね。
スピードメーターは何故か130km。

もうブレーキは踏めません。踏んだら横転側壁激突家族三人即死です。

ハンドルは左に重く、これでもか!とばかりにとられます。
負けたら最後。ぐっとぐっと堪えて。渾身の力で。
祈る!「このまま!このまま!でいてくれよ!」


頭をよぎりましたのは、名古屋の女性の彼氏の運転する車に同乗した時。
カローラのシリンダーを削り、キャブを変えて、それにシャコタン。

京都・天神川の当時一車線しかない土手道を時速180km。
その足で名神高速では220km。後部座席には私。この時も祈りましたね。

(実は、その彼、名神高速道路で三回横転。仕舞には、刑務所行き。面会に行きました。)


それにしても、スピードはなかなか落ちません。
恐らく、下り坂だったのでしょうね。

時速120kmを切るまで、何と長いこと。
時速100kmまで落ちてから車体が突然大きく揺れ出しました。

時速80kmまでは、天と地が引っくり返る程に上下に揺れました。
時速60kmまで落ちるのにまたまた長いこと長いこと。

時速50km台になりまして、ようやく地上を走っている感じになりました。
時速20km台で再び揺れが来ましたが、残り火みたいなものでした。

狭い路肩でようやくやっと自然停車。下車し、タイヤを見ました。パンクは左後輪でした。
ホイールには僅かにタイヤのゴムが残っているのみ。

前輪だったらあの世だったかも。
ピュ~ンと横を時速100km以上の車がかすめていく。ヒヤヒヤしながらタイヤ交換。


然し、当時、このような大型の運転手の殺人行為により横転事故死した人が結構いたでしょうね。


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宿泊予約をしていた京都駅前・高倉塩小路の旅館着が午前零時半でしたね。
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翌日は山科の岡ヤン浅井の婆ちゃんの自宅にあがり、昼食を共にしてから国道2号線をチンタラひたすら広島へ。
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当時、高速道路は無かったですからね。
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広島市内のホテルに一泊。翌朝、広島営業所出社。
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昼過ぎに、辰巳所長がようやく空室を見つけたという入居する家へ。

それは、宇品東*丁目の路地でした。
大きな家ですが、今で言う二世帯住居。

左半分に家主。右半分の二階八畳間二部屋が我等の住まい。
風の全く入らない部屋。トイレと風呂は共同。

「4月1日からの入居の契約だから、遅くてこんな所しか無かった!」
とは辰巳所長の弁解。成る程、一般企業の転勤は二月から三月ですからね。

この時点、この辰巳所長が早打ちマック・青葉支店長の友人とは知っていましたが、無ニの親友だったとは知らなかった。

家財道具を運び込んだ翌朝、広島営業所に正式着任。

処が、処が、初っぱなから、エライコッチャ!
ここは広島。半端な街ではないことを痛い程思い知らされました。