NHKの集金人には参りました

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私の履歴書・159
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「営業幹部研修 鬼の特訓 三泊四日」の報告は、本社部課長会議で為されたとの事でした。
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研修が終わってから間も無く本部タケちゃんマン(宮本課長)からの指示。
京都営業所の畠山社員(1975年新卒入社)と同行販売せよとの事。



畠山君の運転する社有車で彼の担当エリア・京都府南部を先ずは車で市場調査。
流石に車内はヒーターが効いていて暖かく天国でしたね。

それから改めてチェックした箇所に11時から飛び込み訪問開始。
午前中一台受注。 注)一台@38万円

昼食後、チェックした別の場所を訪問。
間も無くニ台目受注。

その後、偶々迷い込んだのが大きなマンション建築現場。どうやら数棟の内の一棟が完成直後。
一階に寿司屋が入ったばかり。この寿司屋で三台目を受注。

寿司屋を出ました時はもう四時を回っていました。
京都は東西が山ですから、他府県に比べ夜が明けるのは遅いし日が落ちるのも早い。
それに曇りでしたから薄暗くなっていましたね。

ついている時はイケイケドンドン。

銭湯の斜向いの店では「誰かが売りに来るのを待っていましたよ!」でしたね。
僅か十分で契約完了。四台目でした。

それからですね。

タケちゃんマンの私を非難する声がピタリと消えたのは。
しっかりと畠山社員から報告を聞いたのでしょう。




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他方、本部山村部長は、この研修の半月後から、新たな私への中傷の言葉を編み出しました。
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「水無瀬君の能力では、人の倍の成果を挙げるのは当然。
拠って、倍の成果ぐらいでは、仕事をしたとは言えない」
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それからの山村部長は、私の前で誰かに私の事を話す時の言葉の一つにこれを加えましたね。
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「水無瀬君は、仕事に全力を尽くしていない」


尚、依然として従来の追い落としの言葉も継続して。

従来の言葉 「水無瀬君の奥さんは、彼にはもったいない」
注)私の妻は普通の女性で、おとなしいだけです。


この言葉を、普通に受け取りますと褒め言葉。実は、全く違うのです。合図なのです。
悪妻家と称する男同士は妙に仲が良く、結束して良妻家と言われる男をいじめます。

それにしても、彼の奥方は我等の前でも亭主の事をボロクソに言いましたね。
無論、彼の奥方は、洛中の名家生れの洛中育ち。亭主は他府県出身。

洛中女性の特徴「皮肉屋」に輪をかけて、そのものズバリ。
「出世が遅い!」「ボーナスが(誰々さんよりも)安い!」等々。


この「仕事に全力を尽くしていない」と「もったいない女房」の二つの言葉。
この誹謗の言葉を懲りもせずに25年間、発し続けるのです。



余談) 当時の企業幹部達は、パーテー等で自分の奥方達を如何に悪妻かを自慢し合いましたね。

これは主に二つのケースでした。
一つは、美人良妻賢母ですが、他人の嫉妬で追い落としを謀られるのを防ぐため。

もう一つは、一般的に言う恐妻家。
例えば、亭主は帰宅したら妻になじられるから帰宅したくない。

故に、亭主は24時間、仕事に夢中。
なりふり構わず出世の道をひたすら追ったとも言えますね。

と言う事は、悪妻・恐妻とは、亭主を奮起・出世させる賢妻ですね。


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話は変わって、
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この寒い大阪での二ヶ月間、寮に住みまして困った事が二つ。
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一つは、入浴。
部屋には、昭和39年春、京都に来る時にお袋が買ってくれた1kwの電気ヒーター一個のみ。深夜、寮に帰宅しましたら部屋は寒いのなんの。
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身体を温めたいから風呂のガスを点けるのですが、そのまま部屋で眠ってしまった事が度々。


疲労の場合と飲んで帰宅の場合ですね。

風呂の湯が煮えたぎってボコボコ。何しろタイマーが無い。空焚き寸前が何度か。
幸にも、何故か目が覚め、これだけは、辛うじてセーフでしてね。


もう一つ困った事は、NHKの集金。
50歳前後の痩せた男が毎週の日曜の朝九時過ぎに来るのです。

一人住まいですから、何かが起きてドアが外から開かない場合は困ります。
ですからいつもドアの鍵はかけていませんでした。
それを善い事に、ずうずうしく玄関のドアを開けて更に部屋のドアも開けるのです。

当時の私の習慣は、日曜は昼まで眠り、一週間の睡眠不足時間を補充。
なのに日曜の朝にいつも彼に起されましたね。

「私は、3月末頃まだから払う必要は無いでしょう」と言うも、「そんな事はないでしょう」と聴く耳持たず。
部屋の中を見ていますから、部屋の中には何も無い事が分かっているのに。

私の持っているテレビは、白黒のテレラジカセで画面が3.5インチ。
然も、鉄筋コンクリートの一階。

NHKも他の局もまともには映らない。聞くのはラジオとテープだけ。
現物と映像の具合を見せて何度説明しても埒があかない。

「そんなに言うのなら、このテレラジカセを持っていって下さい」
こんなやり取りの繰り返し。

堪忍袋の緒が切れたのは3月上旬。
彼の胸ぐらを掴み怒鳴りました。

「文句があったら裁判所に訴えよ! それが出来なければ一生来るな!」
更に「今度この部屋に入ったら半殺しにするから今から予告しておく!」

以後、部屋には来なくなりましたね。でも、彼も彼。意地になっていましたね。
私を見込み客として、会社に報告していたのでしょう。

窓の外から「水無瀬さぁ~ん。NHKの集金で~す」と大声。
同じ寮の連中に聞こえるように。なかなかやるじゃないか。苦笑しましたね。

「表の門から許可無く進入しているから、君を不法侵入で警察に訴えますよ」

これでようやくNHKから開放されて、日曜は昼までぐっすりと眠れるようになりました。
と言っても三月も残るは半月程の時でしたね。


何年後かに、この話を以前夫婦でこの寮に住んでいた知人に話ました。

「あっはっはっ! あの寮の住民達はNHKの視聴料を払わない事で有名なのですよ。1年から3年で転勤ですからね。」

会社には、私よりも遙かに上手の社員が何人もいた!