悪たれ口の減らない男達でした

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私の履歴書・154

本社の我が営業部本社直販課の宮本課長の私への批判のボルテージはアップしていきました。
その私と言えば、企業への新規事業の提案や、独立した企業との取引が主体でした。

宮本課長に言わせると、大口取引や卸販売の仕事は腐っている。個人商店飛び込み営業こそ営業マンの誇り。拠って水無瀬は腐っているという論理でした。

その宮本課長が小首を傾げた事がありました。大手家電メーカーに、20吋のカラーテレビを10台提供させ、部署内キャンペーンを展開した時です。

内容は、三ヶ月間で営業マンがある商品(@28万円~@48万円)を24台直販したなら、カラーテレビ一台進呈。その部署内キャンペーンを私が知ったのは二ヶ月経過した時。山村部長から知らせてもらったのです。

それまで二ヶ月間で10台は片手間で販売していましたので、残る一ヶ月で14台。さてさて、どうするか? 卸販売は対象外。従来の仕事を消化しながら一ヶ月で直販14台は到底不可能。

直販と判定されるには、顧客との契約書が要ります。でも、クレジット販売ではクレジット会社が直接顧客と契約するために、会社の契約書は不要なのです。

そこに着目しまして、Hクレジットの澁谷営業所とSクレジットの埼玉県下各営業所で商品説明会を開き、クレジット会社の社員に対象商品の販売を依頼しました。

Hクレジットは、結果として実績が上りませんでしたが色々と動いてくれました。Sクレジット埼玉・所沢営業所の二名の営業マンは、一ヶ月で合わせて5台を販売してくれました。

他方、私の方は、従来の顧客に電話を入れ、紹介を依頼しました。早速、埼玉県志木市東武東上線沿い旧道の酒販店の親父さんが、同じ道沿いを北上した友人の店を紹介。次にその友人が更に北の友人を紹介。

トントントンと連鎖紹介で北上し、月末近くにたどり着いたのが東松山の郊外ドライブイン「田園」。芋づる式とはこのことを言うのです。ここ田園の芋が9台目で三ヶ月間合計24台丁度。

二ヵ月後、20吋のカラーテレビが送られてきました。
直販の宮本課長、本社でうめき声をあげたそうです。 
「まさか、水無瀬が達成するとは!」


私の仕事は、単なる大口顧客や継続卸し取引先をホローでは無いのです。

先ずは、飛び込みで自ら企業を開発。更に、開発した企業に、その事業の新たな展開や次の事業を提案し、軌道に乗らせること。

ですから、商店への単なる物販のレベルではないのです。
この仕事の難易度に宮本課長が気づくのには1年かかりました。

他方、
当時は、都内で独立して事業を始める人が多かったですね。と言いましても、東京ではいつものことでしょうが。独立して5年後、年商200億円のやり手の人もいました。

私が担当したのは、西新宿の西武線沿いビルで独立した山崎さん(当時27歳)でした。彼は友人5人と独立。

事業が成功した基は、独立した時に山崎社長の田舎で小店をしていた父親を連れてきて、事務所の中に座らせたことでしょう。田舎の小店は母親が一人で切り盛り。

この父親は大人しい人で、社長の隣の机にニコニコと座って社員に短く優しい言葉をかけるだけ。それだけで若い営業社員にとっては何となく安心出来たようです。

それから瞬く間に関東・北関東に支店を数箇所作り、営業マンも100名を超えました。三年目で年商60億円までいきました。

急成長のこの山崎社長に対して我等の主張 「内部留保を増やせ! 夜の銀座通いは週二日に限定せよ!」

更に 「トヨタの新車は買うな! この車をトップが買った企業は間も無く倒産している」

1977年(昭和52)当時、この車の価格は470万円でした。社長にごちゃごちゃと小うるさい事を言うのが我等の特徴。反して他社ライバルメーカーはおだてて夜のお付き合いをするのが特徴。

知らない間に他社メーカーの紹介でトヨタの新車を購入しました。
更に夜の銀座に女性が出来ました。

それを見て、我社は取引を一気に縮小。
逆に他社(F社他)は一気に取引が増えた訳です。

案の定、それから一年後、この企業は破綻。他社には億単位の回収不能債権が発生。我社は取引規模の大幅縮小と取引保証金(一般顧客の手形)を入れさせていましたから無傷で済みました。


さてさて、この1977年と言いますと、東京支店でも人事異動が一気に行われた年でした。

BB課の突破な高山課長に代わって本社守安経理課長が東京支店BB課長として着任。木下ツルッパ主任に代わって本社経理主任が東京支店総務主任として。

早撃ちマック青葉支店長は、福岡支店長として。それにくっついて平間金魚の運呼も福岡支店へ。新たな東京支店長として京都営業所から田上支店長が昇進着任。


木下ツルッパ主任の送別会の時です。
お互いに悪たれ口を叩く者同士が酔った勢いで最後の悪たれ口。

「うちの息子を〇〇大学の法学部に入れ、司法試験を受験させて検事にするんだ! そして、水無瀬と平間を逮捕して刑務所にぶち込んでやる!」

「オォ~オ! 幼稚園のガキに今からけしかけているのかい? まあ、奥さんに似て親父よりは利口かもしれんが」

「その時は、親父に似て立派な若ツルッパになっているだろうな。まあ、ツルッパ息子一人だけで何とかなるもんじゃないよ」

「驚くなよ、学会には司法試験合格者が80人程いるのじゃ! 息子が大人になった頃には、裁判官と検事の半数以上がうちらの者じゃ! その時、真っ先に泣き付いて来るのが平間よ、おまえだ!」

「なんでわしが泣き付かなきゃならんのだ。二代目若ツルッパに。」

「勤務時間中、競艇に行った事がばれて首! 就職口が無くスリやかっぱらいの常習犯になるからだよ。腹が減ったと泣いて口を開けて待っている鼻垂れガキとデカパン女房の為に。」

木下ツルッパの送別会は、最後の悪たれ口の応酬でした。


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私の履歴書・30代編 目次
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