ロッキード事件・金丸信の秘書・白馬から志賀高原へ
民主党小沢党首の第一秘書が逮捕されて、いよいよ起訴となるかどうかは明日の24日に判明します。
小沢一郎さんと言えば、どうしても思い出されるのが田中元首相と元副総理の金丸信です。これに関して、当時の事を思い出しましたから、書き残しておこうと思います。
小沢一郎さんと言えば、どうしても思い出されるのが田中元首相と元副総理の金丸信です。これに関して、当時の事を思い出しましたから、書き残しておこうと思います。
当時の青山ビルと言いますと、このビルへの入居が一種のステータスでした。
事務所は広大なワンフロアー。事務所に入りますと、左が社長室。
事務所は広大なワンフロアー。事務所に入りますと、左が社長室。
フロアーの向こう側の窓を背にして、コの字の形の三方透明ガラスで囲まれた取締役室が三つ。
一つの広さが十畳。形はサンルームです。
一つの広さが十畳。形はサンルームです。
秘書に案内されて、そのサンルームに入っての取締役との交渉です。
これが米国のタイルか! と、いたく感心したものです。
これが米国のタイルか! と、いたく感心したものです。
シグ・片山氏と言えば、思い出すのが田中首相が米国の意向に反して中国との国交回復した故に、田中首相追い落としを謀り仕掛けられたロッキード事件。シグ・片山氏が証人喚問されたのが、1976年(昭和51年)6月、衆院ロッキード問題に関する調査特別委(田中伊三次委員長)にて。「ピーナツ・ピーシーズ」のトンネルで。
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同じ頃です。都内にダイレクトメールを流しましたら、何故か山梨の大月インターを降た都留の人からマシンの問い合わせ。当時の中央高速道は、東京高井戸から大月までと記憶しているのですが。
彼等と彼等の指定した顧客を数回同行訪問しましたが、結果は出ず。
私設秘書の力は、大したことが無かったです。
私設秘書の力は、大したことが無かったです。
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話は変わりますが、
面白い男がいるというので、新宿で井上さん(35歳位)という人と会いました。
彼は新宿にヒレカツの美味い店があるというので、千円の定食を一緒に食べました。
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今でこそ当たり前ですが、分厚いヒレにカラリとした衣。
それにどろどろしたタレを自分でかける。当時としては珍しいものでした。
彼は新宿にヒレカツの美味い店があるというので、千円の定食を一緒に食べました。
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今でこそ当たり前ですが、分厚いヒレにカラリとした衣。
それにどろどろしたタレを自分でかける。当時としては珍しいものでした。
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その彼の叔父さんが、長野の白馬でスキー場を経営しているから、一緒に行ってくれというのです。即、OKしましたね。(写真は、栂池スキー場)
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関越自動車道が、川越から東松山まで開通(1975年)した後ですから、1976年(S51)一月の中旬でしょうね。
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白馬での面談が朝の九時のアポイトメント。
ですから、和光市の自宅発が午前四時。
その彼の叔父さんが、長野の白馬でスキー場を経営しているから、一緒に行ってくれというのです。即、OKしましたね。(写真は、栂池スキー場)
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関越自動車道が、川越から東松山まで開通(1975年)した後ですから、1976年(S51)一月の中旬でしょうね。
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白馬での面談が朝の九時のアポイトメント。
ですから、和光市の自宅発が午前四時。
keyコーヒーの地元営業所が応援してくれました。
二日間、有線放送にも流してがなり立てたのですが時期遅し。
二日間、有線放送にも流してがなり立てたのですが時期遅し。
一般にスキー場関係の施設への営業は、夏。納品は11月。
支払いは農協が立替のシステムだそうですから、一月では相手にしてくれませんでした。
支払いは農協が立替のシステムだそうですから、一月では相手にしてくれませんでした。
白馬観光の社長は、気の毒がって栂池スキー場の休憩所に一台購入してくれました。
その場所というのは、リフトの乗り継ぎ場所の休憩小屋。雪上車がもう登れない場所。
その場所というのは、リフトの乗り継ぎ場所の休憩小屋。雪上車がもう登れない場所。
井上さんと私、それに白馬観光の職員五名を加えた人数で、100kgのマシンをソリに乗せて雪の斜面を押し上げました。力一杯押しますと、ズボズボと腰まで雪にめり込みました。
マシンを稼動させて深夜の雪道を走って東京へ。
とたん、翌日昼に故障の電話。またまた、東京から白馬へ走りました。
とたん、翌日昼に故障の電話。またまた、東京から白馬へ走りました。
前夜は、その冬一番の冷え込みとかで、地元の水道業者がジョイントした水道のつなぎ目が凍ったのでした。
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白馬観光開発の社長は、またまた気の毒がって、志賀高原スキー場を紹介してくれました。そこで日を改めて志賀高原にアポイトメントをとり東京を出発。
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志賀高原スキー場の社長は山の上のリフト小屋にいるとか。
ゴンドラに乗り、リフトを二本乗り継いでようやく社長と会えました。
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とたん、リフトは強風でストップ。
リフトを降りてから15分後でした。
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白馬観光開発の社長は、またまた気の毒がって、志賀高原スキー場を紹介してくれました。そこで日を改めて志賀高原にアポイトメントをとり東京を出発。
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志賀高原スキー場の社長は山の上のリフト小屋にいるとか。
ゴンドラに乗り、リフトを二本乗り継いでようやく社長と会えました。
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とたん、リフトは強風でストップ。
リフトを降りてから15分後でした。
あと五メートルでリフトから降りられるところにも人が乗っています。
猛吹雪でしたね。石炭ストーブにあたりながら下から彼等を見上げました。
猛吹雪でしたね。石炭ストーブにあたりながら下から彼等を見上げました。
依然と雪は前が見えない程の横殴り。頭上のリフトの彼等は雪で真っ白。雪だるまです。
それにゆらゆらと左右に大きく揺れます。停止時間は40分。
それにゆらゆらと左右に大きく揺れます。停止時間は40分。
社長は、この時期、雪上車で上ることが出来ないから、ゴンドラ→リフト二本を乗り継いで手で抱えて持って来るなら直ぐに設置して欲しいとの事でした。(リフトはそれから更に上に行くもう一本ありました)
100kgの本体を分解して三等分したなら何とか抱えてリフトに乗って運べる可能性はありました。でも何かありましたら、ゴンドラからリフト二本を乗り継がなければなりません。
それに、もしも吹雪が続きましたら、リフトは終日完全にストップ。
当日下山不可能なこともあるとのこと。納入は諦めました。
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当日下山不可能なこともあるとのこと。納入は諦めました。
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(追記)2016.07.25
前年購入意向でしたが積雪で搬入困難故にお断りした志賀高原スキー場から、この翌年の秋、うちのBB営業部長野営業所にこのマシンの注文が入り納入したということです。
但し、BB営業本部では、長野の営業社員の営業努力の賜物だと褒め称えましたから大笑いでした。彼らにとってこのコーヒーマシンは触ったことも見たこともない代物なのでした。
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