(No.127)男の嫉妬は十年以上続きます

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1975年初夏(S50)

私が社名を名乗ったとたん、この若夫婦の顔から、さぁ~っと血の気が失せました。
「何しに来た!」 ワナワナと震える顔で主人は叫びました。

実は、その時の私は、私を冷やかした酒販店の親父をギャフンと言わせたいためだけの訪問。
思わぬ展開となりました。

私の履歴書・127

「ここは、会長さんのお宅ですね。明日の展示会に、我社も参加したく参りました」
「何を言っているか! 君の会社は、どんなにひどいものか!」
「何が悪いのですか?」

五年前にこの組合から絶縁状を叩きつけられた理由とは。

①売りっ放し 
②電話の受付が悪いし連絡が無い 
③修理を依頼しても直ぐに来ない 
④修理マンが故障を直せない 
⑤修理代がボッタクリ

成る程、BB課の営業マンの日課は、午前中は喫茶店。時には夕方まで。
お客さんなど、訪問しているはずはない。ごもっとも。

それと歩調を合わせて喫茶店通いの修理マン。直ぐに行くはずはない。
ごもっとも。

電話受付でも、ごもっとも。
社内で使う言語は関西弁。受話器をとったら第一声が「マイドォ~」。

BB課の連中は、電話の連絡をもらったとしても、買いたいという連絡以外は無視する。
ごもっとも。

修理マンは、ド素人に毛が生えた程度。直せないのが当然。ごもっとも。
修理代のボッタクリ。成る程、金だけはしっかり徴収する。ごもっとも。

いちいちごもっともなことばかり。
ごもっとも過ぎると言っても、はい、そうです!と言う訳にはいかない。

私「我社は、G社より遙かに前に商店の皆様と共に歩んできた会社なのですよ」

追い討ちをかけてきましたね。
「G社は、無線で連絡。反して、君の会社では未だポケベル。今や姿勢が違う!」

個々の店の事例をあげて、延々と、一時間半。
彼の内容に反論する余地は全く無いのだが。

M社を推していた小金井市の会長を、トラックの助手席に乗せて、各店を訪問したことを話すが、「それはそれ、これはこれ」。ごもっとも。

若き奥様は、相変わらず強盗に押し入られたように顔が引きつって腰が引けている。
小柄な色白の美人が台無し。

「G社の会社の内容は素晴らしい。反して君の会社の内容は遙かに劣る!」

絶体絶命。逃げ場も無い。


思わず、高さ1m半の洋菓子ガラスケースを上から「ドォ~~ン」と叩きました。
びっくりするほどの音。一瞬、ガラスが割れたのかと思いました。

「組合の会長が、G社は倒産しないと保障するのですか? G社が倒産しない保障は何処にあるのですか?」

続けて「企業規模・内容から言えば、日本人なら誰でも知っているM社やK社の方が遙かに上じゃないですか?」

再度、洋菓子ケースを上から「ドォ~~ン」。怒鳴りました。
「G社は、この業界に参入してから、たかが十年じゃないですか。その一企業を組合員に対して責任ある立場のあなたが、保障するのですかぁ~?」

シィ~~ンと静まりかえる。

その時、奥の障子が静かに開いて着物姿の60歳代貫禄充分の男が私を見下ろして言いました。

「私が会長だ。明日の展示会は、午前九時半から。場所は組合事務所横の駐車場」
「有難う御座います。展示会には何台まで持ち込めるのですか?」

「一社五台。参加企業は、G社・M社・K社」
「分かりました。必ず参加させていただきます。有難う御座いました。」

外に出ますと時計は午前一時前。
事務所は空だろうなと思いつつ、公衆電話を探しました。

事務所には、何故か青葉支店長とBB課の藤木課長の二人がいました。
会合で遅くなったそうです。

「支店長、明日の江東・墨田の展示会に参加出来ます。」
支店長、無言。続けて内容を話しました。

「水無瀬君、君はその展示会に出なくてもいいよ。藤木課長に全部やらすから」
「はぁ~~?」

展示会当日、出社しましたら数名がもう展示会場に出かけたとの事。
受注結果は、G社が二十数台。M社・K社が各数台。我社が72台。圧勝との事。

       ☆       ☆       ☆

私は、その日の夕方、約束通りくだんの酒販店を訪問。
黙って契約書を差し出しました。
奥さん「おとうさん、約束したでしょう。判子を押さなきゃ」

この追加の一台は、奥の倉庫に梱包のまま入れたそうです。
それが、五年経っても梱包のままだったそうです。

       ☆       ☆       ☆

他方、以後、話が全く違いました。私の社内での悪評は十二年も続きました。
青葉支店長が、自己の立場を守る為に社内で言い続けたからです。

「水無瀬には、商業組合を任せられない。きゃつは、直ぐに会長と喧嘩をする」

私の所属が小売店担当のBB部署に変わるのを防ぐためでした。
尚、これですから、この展示会での実績は、私ではなくBB課藤木課長へ。

この江東・墨田商業組合会長宅には、青葉支店長自らが足掛け五年間、通い続けても拒否されていたと聞いたのは後日。

     この項はこれまで。尚、次回は「円天」詐欺師波会長の昔にちょっとかかわった話です。