京都の女性と結婚した男の嫉妬

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京都のご婦人から「よう似合たはりますわ」と言われた場合、「全く似合っていない」との意味。
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結婚式の時に、うちのお袋が、私の上司夫人に言われた言葉。
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「はきはきものをお言いやす人。息子はんとはえらい違いや」
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いかにも、母を褒めた言葉に聞こえるのですが。
本当の意味は、「思慮の浅いお馬鹿な母親」。

私の履歴書・118

1974年5月。新婚旅行から帰ってから、早速始まったのが「褒め殺し」
「水瀬君の奥さんは素晴らしい。奥さんが何故こういう無骨な男を選んだのか不思議」

解釈1)『女房が素晴らしいから褒め称えた言葉』と解釈するのが普通ですが、実はそうではないのです。

解釈2)洛中育ちの女性と結婚した男が他府県の人に話す場合は
『女房と比較して亭主が見劣る』という私をけなした意味ですね。

解釈3)洛中育ちの女性と結婚した者同士が話す場合は
『きゃつは優しそうな女性と結婚。皆できゃつを潰そう!』との意味となる。

この褒め殺しが三十年続きましたね。処構わず。生粋の京都の奥方に鍛錬された旦那はしつこい。



五月下旬、東京に転勤するべき同僚の亀山君が、急遽、奥方の猛反対で転勤拒否。
洛中で生まれ育った由緒ある奥方は、京都を離れたくない。東京は蝦夷の野蛮な地。離婚騒ぎまで。

お鉢がこちらに回って来ましたね。
急遽、私の東京転勤となりました。

私も断るべきでした。妻は、学卒の時に、妻の小父さんの紹介で大阪の商社に就職が内定していました。
どうせ結婚したら辞めるのだから、給料の良い方に勤務したら良いとの私の勧めで、大学の就職掲示板に掲載されてある京都の不動産会社に応募。

当時の関西での不動産業界としての女性営業員採用は、初めてのこと。
東京の業界でもこの頃が始めての採用でした。

当時、京都でマンションと言えば、最初に建ったのが岡崎のマンション。
これはこの不動産会社が売り出した物件。

結婚する前から、妻の毎日の報告を聞いて、毎夜、ロールプレイングをしましたね。客の年齢別・単独か夫婦連れかの違いでマンションのモデルルームでの立つ位置を違えたり案内内容を変えて。

注)ロールプレイング 役割演技法。私が客となり妻が販売員となって実技訓練。

妻の当時としては結構いい給料でした。基本給が八万円強+営業手当て+成約手当。
毎月手取りで12万円弱。それにボーナス。

当時のマンション価格は500万円台。共稼ぎをしながらそのまま京都にいましたら三年で貯められましたね。
その頃、マンションを買っていたならば、東京転勤は拒否したでしょう。




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東京に行く前に、大阪を知っておいた方が良かろうとの上司の奨めで、子会社の大阪に一ヶ月通勤しました。

一ヶ月間だけですから、私の存在は子会社のトップやその社員にとっても腫れ物。
彼等営業社員の行動は、午前九時朝礼。それからミーテングをして出発。

ミーテングの無い日は、ビルの地下の喫茶店モーニングコーヒー
その喫茶店の中に、スロットマシンがありました。今のパチスロの前世の3リールマシン。

100円玉を入れてガチャンと回し、「7(セブン)」が三つ並ぶと大当たり。
最初は、皆がやるのを見ていました。私もやってみました。

息をいっぱい吸い込み腹に力を込めて、回っているロールの絵の『7』が三つに揃うよう画面に指を指し「止まれ!」と気合をかけますと、あら不思議や、止まるのです。それが数回~10回に一度の割合。

一度揃いますと一万円程の100円玉がジャラジャラ。朝の僅かな時間で充分。
夕方早めに会社に帰って来た時は、この地下の喫茶店に寄りました。

この日は、朝もジャラジャラ。夕方もジャラジャラ。
茶店のママに言われました。「もう、来ないで下さい」

              やがて一ヶ月も過ぎて、いよいよ東京へ。



(画像借用先)
スロットマシンの画像は下記URLから借用しました。
http://blog.goo.ne.jp/onizou



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私の履歴書 30歳代編 目次(1)~(3)
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/folder/1495255.html
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