他人からの批判は我の糧

イメージ 1.
近くの水路の土手の赤い梅も咲きました。
.
4日は立春とはよくぞ言ったものですね。
.
でも、二十歳代から五十歳代までは、何等気にも留めませんでしたね。
.
今でこそ、春の訪れ等の季節の移り変わりの折々に、驚いたり感傷的になるのですが。

私の履歴書・112

《逆境の喜び》

いじめられる事が快感になったのはその頃からでしたかね。

仕事はゲーム。社内であろうが、社外であろうが、逆境を逆転し勝利する喜び。
それを体感したいという強い私の思い。

一発逆転。麻雀の九蓮宝燈(チューレンポウトウ)の九面待ちとか、国士無双(コクシムソウ)の十三面待ちとかに、イーシャンテンの時の密かな興奮。

ですから、何を言われてもニコニコ。
「水無瀬はツラの皮が厚い」と言われました。

特に四国での契約の件以降、佐山取締役本部長は更に敵意をあらわにして来ましたから、虫酸が走るも何故か憎めなかったですね。

私、車が混んで会社着が遅くなり、始業ベルの鳴る寸前、階段を駆け上っているのを佐山本部長に見られました。「水無瀬は信用ならん。朝礼ぎりぎりの時間に出勤とは!」

ダイレクトメールを作成していましたら、「経費の無駄遣い」
「ネクタイがゆるんでいる」とか、「ものの言い方が悪い」とか。

何と細かい事迄。それも私に直接言うのではなく、本部・部長会の席上、私の上司山村部長に言うのですから。

他方、郵便局のゴム印の件で、会計・経理部門の女子事務員に聞きまわりましたから、銀行からの出向者を敵に回すはめに。

三つの大手銀行からの出向者がいましたが、廊下ですれ違った五十歳代のある銀行出向者からは「水無瀬君、君は辞めるのかね?」と。


他方、この当時、価値あるものもありました。

上司山村部長からある事に関して稟議書(りんぎしょ)を書くように仰せつかりました。

  注)稟議書(りんぎしょ)→所定の重要事項について決裁権を持つ重役に承認を求める文書。

読んだ人が良く理解出来るように書いたつもりでした。

でも、それを上司に提出すると「何じゃ?これ!」
そう言って私の書いた一枚の稟議書はポイ。ヒラリヒラリと床へ。

床から拾い直して再度書き直しました。
再度ヒラリヒラリと床の上に。

このポイポイのヒラリヒラリが幾度も続きました。
何故に駄目なのか理由を聞きましても「自分で考えろ!」の一言。

ようやくOKが出ましたのは十回目でしたね。これは勉強になりました。
長い文章は必要無いのです。ポイントは箇条書き。

この事は、その後、大いに役立ちました。
無論、佐山本部長の私の事に関しての悪態も、未熟な自分を矯正するのに役立ちました。



会社の応接コーナーに見た事も無い大きなコピー機が。
当時は、コピーと言いますとコピアの湿式青焼きの時代でしたからね。

これは便利! すごいもの! メーカーはゼロックス
乾式コピー機の傍には営業兼操作説明員の新卒・オボコイ男。

聞きますと、彼はこの春の新卒。このコピー機は一週間限定での無料貸し出し。
でも、佐山本部長の反対で引き揚げる事になっていたのです。経費増の理由で。

話を聞きますと新卒の彼は大学の後輩。これは何とかしてあげなくっちゃ!
一計を案じました。

今回のコピー機の窓口となっていたのは、総務課長。
総務課長は、ある県庁で課長職でしたが中途退職してこの会社に再就職した男。

「休日に総務課長の自宅を訪問しなさい。まんじゅうの手土産持参で」
「そんな事をしていいんですか?」
 
「どうせ断られているのだから勝負じゃないですか。
但し、その時の総務課長に対して、先ずは君の提案内容が勝負となる。

この機器を導入したメリットを他社の例で示しなさい。
そして君の上司と相談をして、総務課長が書くであろう社内稟議書の文面を書いて、それを提案書の一部として添付しなさい」

更に付け加えて、「二つ目は、君の熱意が勝負となる。にじみ出る熱意を表現出来なかったらやぶへび。事前に話し方を練習してから行くのですよ」

それから総務課長の自宅の住所と地図を書いて彼に渡しました。

翌週の月曜日、早速、彼は私の席に訪問の結果報告でやって来ました。
「私に話しかけるのはタブー。君と私は知らない者同士。社内で君と私が話しをしているのを見て心良く思わない人がいるかも。あとは総務課長次第」

二日後、彼は廊下を歩いている私を捕まえて言いました。
「有難う御座います。導入が決定しました。総務課長が、佐山本部長を説得したそうです。」

民間会社育ちの総務課長でしたら通じませんが、役所育ちの総務課長の場合、この手は通じるのです。

尚、それから十七年後、札幌から本部に帰った私に、社内教育担当課長がやって来ました。
富士ゼロックス社員教育セミナーを受講してみてご意見を下さい」

当時、富士ゼロックスはあぐらをかいていた特許が切れて、キャノンやリコー等の新興コピー機に敗北を重ねるも、社員教育の成果で盛り返していたのです。

そのノウハウを売り物として『㈱富士ゼロックス総合教育研究所』を立ち上げたのです。
このノウハウも、私から見れば「当たり前の事を、当たり前にする」でしたね。

大阪の富士ゼロックスの別館二階で受講しました。
招待された受講メンバーは、主に東証一部上場企業の社員教育担当管理職連中。

二日間の紹介セミナーが終わってから、ゼロックスの講師連中に言いました。
「その講師役は、私の方が適任ですね」とね。



追記)2011.06.01

富士ゼロックス紹介セミナー
PSS (Professional Selling Skills)
日時 平成3年8月22日~23日、26日~27日の四日間 9:00~18:00
場所 ㈱富士ゼロックス総合教育研究所 大阪支社 セミナールーム