峠の茶屋の小母さんの実力

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写真は、夜の小雨時、近くのコンビニの駐車場の水溜りです。
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皆が見過ごす単なる雨の水溜り。
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よォ~く見ますと落ちた小雨の波紋に映る光。
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峠の茶屋の小母さんとの出会いは、こんな感じでしたね。

私の履歴書・108

前回の中国四国出張から半月後、再度、四国出張に出かけました。

この出張を高松の所長に知られまして、是非所長の自宅に泊まれ!と言いますので仕方なしにまたまた磔獄門(はりつけごくもん)の部屋に一泊。

翌朝は晴天。国道193号線で高知に向かって高松市内を抜けて峠を上っていきました。

峠の頂上から下りになる県境付近。道路の左右にドライブインと右側に峠の茶屋。
この軒下売店でいか焼のような物を買い立ち食い。暖かな日差しでしたね。

売店の小母さんに聞きました。「ここから高知までどの位時間がかかるんかいな?」
それから四方山話となりました。

「おまはん、仕事、どんなことやりよん?」
そこで私の新しい顧客層の開発の仕事の話をちょっとだけしました。

「おもしょい仕事やな。ほんなら、うちの知り合いばあ紹介したる」
そう言って、紙に地図と相手先名を書きました。

場所は、峠を下りてから国道192号線をひたすら西の池田の方向に走りますと、右側に三千坪程の駐車場のある大きなスーパー。そこのオーナーを紹介してくれたのです。高知に行くどころではなくなりました。

店主は、峠の小母さんの紹介でと言うと直ぐに会って話を聞いてくれました。

店主は、じっと聞き入った後「今夜の11時からこのスーパーの二階で県内の大手地元スーパー6社の会合がある。それに出席せよ」と言うのです。その席で私に提案説明時間を30分くれると言うのです。

それから反対方向の徳島市内経由阿南へ。前回未達の阿南海岸観光の目的を果たす為。良い天気で空も海も青。夕方は前回と同じ国民宿舎へ。早めに入浴と夕食を済ませて横になり、午後10時に宿舎を出発。

午後11時から始まった会議は、午前0時に終わる当初予定が紛糾して午前1時半。それからが私の提案内容説明が30分。以後、色々な質問が来まして終わったのが2時半を回っていました。

各スーパーのオーナーが帰宅して残ったのはその店主と私の二人だけ。

店主が言いました。「その提案のぎりぎりの価格を出してくれ!」
そこで提示したのが700万円台。だが店主は700万円の即金条件では高過ぎると言います。

そこで再度の提案。建屋は地元の懇意な業者に依頼したら半額になる。それらの部分を除き、地元の業者で出来ない作り物と機器の代金で500万円。それに支払い条件の変更。

そこからがすったもんだでしたね。
午前四時頃、店主はやおら立ち上がり隣の部屋に行き、社判と代表取締役の丸印を持って来ました。

契約書を出せ!というのです。そして、白紙の契約書に印鑑を押したのです。
「なんぼにするんや!」

私は店主の顔をじっと見つめました。

あの峠の茶屋の一見農家の嫁さんらしい何の変哲も無い売店の小母さん。50歳台?
その人の紹介で来て! まさか!こんなことになるとは! あの小母さんは何者?

私は言いました。「分かりました! 中を取りまして470万円です」
そう言った時には、一瞬前が見えなかったですね。

店主は、静かに自ら契約書に4,700,000-と記入しました。
京都・大阪の新築マンションが500万円の時代でしたね。


この話は、ここで目出度し!目出度し!で、ジ・エンドのはずでした。
処がどっこい!どっこい!帰社してから社内権力闘争のネタとされたのですから。

今から35年前、1974年(昭和49年) 早春の事でした。
                          あぁ~、天は我に苦難を!!