二十歳代の衝撃


キルケゴールの『死に至る病』との出会い》

それは1966年(S46)年四月、四回生の時の人文科学系初回の授業でしたね。

毎年私は各登録科目の最初の授業に出席し、そこで今後出席するかどうかを判断していたのです。
それまでの三年間、一つの科目として受けたい授業に出会いませんでした。


処が、その授業は違っていました。
大教室の演壇に立つのは三十歳代前半の助教授。

『本当の絶望とは、死ぬに死ねない状況だ!』と彼は言うのです。
『絶望して自殺をした場合は、未だ本当に絶望していないから死を選択することが出来た!』と彼は言うのです。

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「人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。」
「自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である。」


彼の授業は、キルケゴール著「死に至る病」の研究発表でしたね。
始まってから5分もしないうちに、教室の数百人の学生が演壇の黒板に釘付けとなりました。

この助教授の次回の授業で開始10分前に教室に入った時には、もう後ろの席しか空いていませんでした。
三回目の授業からは20分以上も前から入り、何とか前から十列目以内に座れました。

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「究極の意味において絶望は死に至る病である。(途中省略)」
「我々は死ぬべきしてしかも死ぬことが出来ない。」
「いな我々は死を死ななければならないのである。」

「絶望者による死はいつも自己を生の中に置き換えるのである。絶望者は死ぬことが出来ない」

「絶望とは自己自身を食い尽くすことにほかならない。もっともそれは自己自身を食い尽くそうとする熱情だけであって、自己自身を食い尽くす力は持っていない」



授業の都度、彼の研究プロセス(ゾラの「居酒屋」その他)を表したプリントが配布されましたね。

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「彼が何かについて絶望しているのは本当は自己自身について絶望しているのであり、そこで自己自身から脱け出ようと欲するのである」
「「(帝王になれなかった男の絶望の場合)彼は本当は自己が帝王にならなかったことに絶望しているのではなしに、帝王にならなかった自己自身に絶望しているのである」

「もっと正確に言えば、自己自身から脱け出すことが出来ないと言うことが彼には耐えられないのである」



以上が「死に至る病」の最初の節の一部を抜書きしただけのものですが、授業の雰囲気はちょっとは伝わっていると思います。


イメージ 5彼の言葉は、何十年経っても耳に残っていますね。
特に、下記二点の言葉が。
熱く何度も語る彼の姿が。
両手のこぶしを前に出す気迫が。
「絶望とは、死を死する→死ぬに死ねない」
「誤謬(ごびゅう)の中に生きている」
この『助教授』とキルケゴールの『死に至る病』との出会いが二十代の最大の衝撃でしたね。

人は、彼の発する熱意に満ちた前向きな言葉と毅然とした姿に感動するのですね。

尚、私の二十代には、もう一冊。二十歳過ぎから何十回も読んだ「孫子の兵法」でした。
この二冊と教授の迫力の影響が威力を発揮するのは、それから十数年後の四十歳からでした。



私の履歴書の二十歳代はこの100回目でお仕舞にします。
次回101回目からは三十歳代です。

                
参考)誤謬(ごびゅう)→間違いの意味


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キルケゴール著作集 第11巻」 四六版 白水社


             (写真は寝台日本海下りの窓辺から。金沢→福井間での霧の朝です)