二十歳代の衝撃
私の履歴書・100 |
それは1966年(S46)年四月、四回生の時の人文科学系初回の授業でしたね。
毎年私は各登録科目の最初の授業に出席し、そこで今後出席するかどうかを判断していたのです。
それまでの三年間、一つの科目として受けたい授業に出会いませんでした。
それまでの三年間、一つの科目として受けたい授業に出会いませんでした。
『本当の絶望とは、死ぬに死ねない状況だ!』と彼は言うのです。 |
『絶望して自殺をした場合は、未だ本当に絶望していないから死を選択することが出来た!』と彼は言うのです。 |
「人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。」 |
「自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である。」 |
「究極の意味において絶望は死に至る病である。(途中省略)」 |
「我々は死ぬべきしてしかも死ぬことが出来ない。」 |
「いな我々は死を死ななければならないのである。」 |
「絶望者による死はいつも自己を生の中に置き換えるのである。絶望者は死ぬことが出来ない」
「絶望とは自己自身を食い尽くすことにほかならない。もっともそれは自己自身を食い尽くそうとする熱情だけであって、自己自身を食い尽くす力は持っていない」
授業の都度、彼の研究プロセス(ゾラの「居酒屋」その他)を表したプリントが配布されましたね。
「彼が何かについて絶望しているのは本当は自己自身について絶望しているのであり、そこで自己自身から脱け出ようと欲するのである」 |
「「(帝王になれなかった男の絶望の場合)彼は本当は自己が帝王にならなかったことに絶望しているのではなしに、帝王にならなかった自己自身に絶望しているのである」 |
「もっと正確に言えば、自己自身から脱け出すことが出来ないと言うことが彼には耐えられないのである」
以上が「死に至る病」の最初の節の一部を抜書きしただけのものですが、授業の雰囲気はちょっとは伝わっていると思います。
彼の言葉は、何十年経っても耳に残っていますね。
特に、下記二点の言葉が。
熱く何度も語る彼の姿が。
両手のこぶしを前に出す気迫が。
この『助教授』とキルケゴールの『死に至る病』との出会いが二十代の最大の衝撃でしたね。
特に、下記二点の言葉が。
熱く何度も語る彼の姿が。
両手のこぶしを前に出す気迫が。
「絶望とは、死を死する→死ぬに死ねない」 |
「誤謬(ごびゅう)の中に生きている」 |
人は、彼の発する熱意に満ちた前向きな言葉と毅然とした姿に感動するのですね。
参考)誤謬(ごびゅう)→間違いの意味
(写真は寝台日本海下りの窓辺から。金沢→福井間での霧の朝です)