京都西木屋町で再び


《アルバイト家電店長奮闘記 ⑦顧客に教えてもらった売り方》


毎日、素敵な女性と夜明け前にチークダンスを踊るには、毎日、粗利額を倍にしなきゃなりません。

さてさて、どうするか? あては全くありませんでした。



12月にUHFコンバーターが偶々二台売れました。

近畿放送ラジオ(現、KBS京都)が新たにテレビを放映する事になったからです。
試験電波は12月24日からで、本番は翌年4月1日からでした。

これを視聴するには、UHFコンバーターを購入し、UHFのアンテナを立てなければなりません。今の地上デジタル放送(三年後)と同じような事でしたね。

地上デジタル放送の場合は、古いテレビではチューナーが無いとどの局も観れませんが、この場合は、単に近畿放送一局のみの映像を新たに観れるだけですからね。市場は全く盛り上がりませんでした。

ですから、大量のUHFコンバーターがバッタ屋に叩き値で流れたのです。
恐らく一年前、メーカーが見込み違いをして大量生産し、滞貨在庫になったのでしょうね。



粗利益を倍にする手段の無い私は、事務員にお願いをし、会社の封筒10通に一枚物のコンバーターのチラシを入れて切手を貼ってもらいました。宛先は、過去、テレビ修理で私が訪問した顧客です。


その様子を仲山社長が見て言いましたね。

社長「そんな事をしても効果は無いよ。切手代をドブに捨てるようなもの」
私 「手紙が着いてから電話するのですよ」
社長「電話代がもったいない!」
私 「一度、やらせて下さい」

社長は、プイとその場を去って行きました。
社長のカンとしては、『テレビ修理代をぼったくられた顧客は、二度と顧客とならず。寧ろ、電話をすることで文句を言ってくる』と思ったのですね。


こりゃ、早急に結果を出さなきゃ。郵便物の発送は止めて、顧客に直接電話をしました。
顧客宅には過去テレビの修理で引揚と納入の二度訪問。

納入の際は、修理内容等を家族の皆さんに説明と四方山話し。その話しの中で学生アルバイトである事の証として学生証を見せていましたから信用がありましたね。

最初は確か10軒電話をして2軒から受注しました。
早速、バッタ屋からUHFチューナーと八木アンテナを注文し、修理マンとアルバイトに取り付けに行かせました。

他方、事務員には、倉庫から、最近の修理伝票の束の入っているダンボールを探させ、その伝票の束を机にドカンと置いて、片っ端から修理顧客に電話攻勢をかけました。

顧客に掛ける電話も日毎上手になっていきましたね。

顧客が、UHFコンバーターを取り付けるメリットを私に教えてくれる場合もありましたから、次からの顧客への電話には、それをセールスストークとして使いましたね。

今でも顧客から教えてもらったもので記憶にあるのは一つだけ。これは効果抜群でした。
『ラジオで放送されていたものが、テレビの映像で放映される』

少年野球大会・合唱コンクール・祭りなどの行事です。
電話で顧客の行事の事やお子さんの状況を聞けましたらほぼ受注できましたね。

この電話を始めてから直ぐに一日の粗利額が3万円を超えました。
超えた最初の日、事務所の中で、バンザイ!をしましたよ。

以降、ほぼ毎日、目標達成!!

仲山社長が、夕方、店に帰ってきた日の夜は、当然、お好み西木屋町コース。
最後はカラーボールからの三色の光線を浴びながらのラスト・チークダンス。

お好み西木屋町コースの一月の請求書が、社長と私の二人だけでして、確か77万円。
四十年前ですからね。




処が処が、テレビ修理マンが、彼の所属するある宗教組織と彼の知人のいる怖い組織に私の事を褒め称えて言ったものですから、とんでも無い事になりました。