夜逃げのケースとおめかけさんのケース


《アルバイト家電店長奮闘記 ⑤足元を見て》

昭和43年、当時一般の家電販売店がカラーテレビ一台を一般家庭に販売して二万円の粗利益を得るのは困難な時期でしたね。昭和39年の東京オリンピックでカラーテレビを買える人は買ってしまいましたから。

お金の回転重視ですから、少資本で高収益を得るには、他方、中古商品の買取りと販売でした。
故に、古物商の許可を得ていました。


京都新聞三行広告「カラーテレビ・冷蔵庫・洗濯機、高額で買取します」

冷蔵庫を手放す一般家庭では、気の毒な例が多かったですね。
主に、お子さんが学校に持っていくお金が無いからとかです。

尚、問い合わせが来た場合、電話で購入月・容量・メーカーを聞きましたら、買取価格はほぼ決まっていましたから、バイトにお金を持たせて走らせました。




最も思い出深いのは、夜逃げでしたね。

昼に電話がかかって来ました。訪問はその夜8時の時間指定。
ピンと来ましたね。夜逃げだと。(尚、夜逃げの場合は、前々日に連絡がある場合もありました)

その日、偶々仲山社長が帰ってきましたから社長と一緒に出かけました。
私が運転で社長を乗せて。黒のトヨタクラウン。

無論、バイト全員と軽四トラック四台を引き連れて。

ちょっと裏道に入った所ですが、門構えは当に京都の旧家で恐らく何処かの社長邸宅。
木戸を開けてくれたのは、ラフなスタイルの50歳代の男性。この人が社長でしょうね。

手入れのよく届いている見事な庭でした。
通された部屋は、高級旅館の部屋のようなきりりとした雰囲気。

そこで価格交渉ですね。
カラーテレビ・冷蔵庫・ステレオ・クラー・洗濯機。それにピアノ。

七万円からスタート。当然折り合いはつきません。
こちらは時間稼ぎで一点毎何故その価格かの説明をします。

相手はイライラ。ボストンバックが部屋の片隅にあるのです。
この金を持って、夜行列車に乗車するのでしょう。

彼は当然時計が気になります。9万円ジャストで交渉成立。
皆で荷物を運び出し、軽四トラックに積み込みますと邸宅の電気は消えます。

ピアノを荷台に載せるには苦労しました。荷台に納まるかどうかの寸法でしたからね。

午後九時を大きく回っていましたが、そこからピアノを積んだ一台は、予め中古ピアノのオーダーを受けていた質屋さんに走らせます。こちらの店には置き場所がありませんからね。このピアノだけの転売価格は10万円。


帰りの車の中で仲山社長はこう言うのです。

「数点ある場合の買い取り価格合計の上限は、その内の最も高い一点を転売する価格」

「夜逃げの場合は、本当はもっと買い取り価格を叩かなきゃならない。事情はさておき、債権者に迷惑がかかるのを承知での夜逃げ。犯罪もの。」




さてさて、最も楽しいのは二号さん(おめかけさん)宅でしたね。

何等かの事情で、二号打ち切りになった場合、旦那さんが購入したもので身の回りの物以外は全部売り払います。但し、こういうケースの女性の年齢は20代~30代でしたね。

訪問して出てくる女性はどんな人かな? これを想像してからノックをします。
スッピンで出てきますから、その顔を見ただけでそこにある調度品のレベルが分かるのです。

飾り棚や洋服タンス等の家具類は家具屋さんが引き取ります
私達の方は、カラーテレビ・電気冷蔵庫・ステレオ等。

買取り価格交渉中に、話しの節々からどうして処分する事になったかの事情を推測します。

旦那の商売がうまくいかなくなった? 二号が奥さんにばれた? 旦那が二号を飽きた? 二号に男が出来たのを旦那にばれた? 二号が結婚するので旦那と別れた?二号の夜逃げ? 

この理由によって買い取り価格は違ってきます。
若い女性の場合は、部屋を引き払う為の処分ですが、年齢がいっている場合は、生活費に充当する為の雰囲気でしたね。

引き取って来ましたら、バイトにワックスで磨きをかけさせ、即日、転売です。
中古品の場合の転売先は質屋さんです。前回でも述べましたように、質屋さんはお金持から予め中古品の要望を聞いていますからね。

個人のお客さんには高く売れるのですが、後日、二号さんと旦那さんとのトラブルに巻き込まれる恐れがあり、迷惑がかかりますからね。出来るだけ質屋さんです。

但し、ステレオの場合は例外。一般の人の買う側はメーカー指定ですので即転売は無理でしたね。
だから買い取り価格は、どんなステレオでも2万円以下でした。

尚、このステレオは、若き二号の皆さんの場合、高いのをお持ちでした。
音響メーカー品でコンポ。定価一台十万円弱以上。当時、大卒初任給が三万円の時代。

買い取り価格は真空管方式かトランジスタ方式かの区別無しで1万円。
顧客への販売価格は、定価の半値ですが、それでも顧客は大喜び。

一度、ついでにダブルベットも買取りを頼まれましたね。ついでですから千円で持ち帰り、置き場所が無いので店内に放って置きましたら二万円台で売れましたね。


ドンと儲かったある日の夜、仲山社長とは、社長の行きつけの京都・西木屋町四条下る「料亭竹」へ。
その後、同じ人が経営している「クラブ竹」へ。午前一時頃からは「ゴーゴーバー」へ。

そこのフロアーでクラブ竹のホステスさん達とゴーゴーを踊りましたね。

私、このコースが気に入りまして、その後、常連化するのです。