家電バッタ相場連戦連勝の日々


《アルバイト家電店長奮闘記 ④23歳の学生家電バッタ相場師》

1968年(S43)12月下旬の事。現場での収益をどう編み出すか!

家電のバッタ相場に手を出しましたね。


バッタ屋とは、倒産寸前や資金繰り悪化の店舗から商品を買い叩き安値で販売するなど、正規ルート以外で商品を仕入れ、現金で安売りする店のことです。

バッタ相場をするとは、バッタ屋から商品を仕入れて別のバッタ屋に売りその差益を得る事です。

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当時、家電メーカーとの取引はしていませんでした。
新品の家電の注文がありましたら、バッタ屋から現金で商品を仕入れて顧客に販売していたのです。

私は五人の学生アルバイトを動かして連中のバイト料をひねり出すにはバッタ相場だと思いましたね。
彼らを遊ばせておくわけにはいきませんからね。


このバッタ相場で私のとった方法とは、

例えば日立のカラーTVを欲しいお客さんがいましたら、南区十条のAバッタ屋に先ず電話。
仕入れ価格を聞き、それからとことん値切ります。一円単位まで値切って買います。

次に東山二条のBバッタ屋に電話。Bバッタ屋にはAバッタ屋の仕入れ価格に千円上乗せし即答を求めます。Bバッタ屋で買うと言ったら売ります。

そして即座にバイトを南区Aバッタ屋に現金を持たせて走らせそこでカラーTVを積ませ東山のBバッタ屋に納入させ現金で代金回収をします。

更に南区のAバッタ屋に再度電話をして、先程の仕入れた価格から更に何百円か下げさせもう一台の注文をします。後、他のバイトに現金を持たせ再び南区Aバッタ屋に走らせ、それを受注した顧客に納品するのです。

当時のカラーTVの20吋の巷の安売り価格は13万円前後。私の場合は、顧客の家の屋根に新品のアンテナを立てて11~12万円での販売ですから顧客は喜びましたし、顧客からの紹介も来ましたね。

このように、バッタ屋に価格問い合わせをしましたら冷やかしではなく確実に買いましたからバッタ屋間での私の信用は短時間で一気に上りました。

それに、各バッタ屋に挨拶に言ったものですから、二十歳そこそこの学生が家電相場を張っていると驚かれましたね。バッタ屋業界は、皆、私より20歳は年上でしたからね。

だから何か起きましたら彼等バッタ屋は優先して巷の情報を電話で私に知らせてくれました。
可愛がられたのです。

例えば、「今日、大阪のある家電店が取り込み詐欺でカラーTVを50台仕入れてバッタ屋に流している」とか。
そういう場合は、ガクンとTVの相場価格が下がります。

その情報を得てそのTVを買える場合、情報の入っていないCバッタ屋に電話で価格提示し、買うか買わないかの即答を求めます。

そういう時ばかりではありません。毎日毎日各地のバッタ屋から電話です。

例えば「メーカー○の○型冷蔵庫○台を○円で買わないか?」
これに対して、「買う」「買わない」の即答をしなければなりません。

買わないとリスクはありませんが収益は得られません。
買っても転売出来なければ在庫となりお金が眠るか叩き売りで損しての換金です。



毎日毎日がピリピリ。即決断・緊張の連続ですからね。相場をしますと神経が休まりませんでした。
当時の情報戦争でしたね。

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