山桜の美しさ

水無瀬の奥山の山桜です。
人の手で育てられた桜花と違って、その昔、小鳥達が種を運んだのでしょうね。

京都の寺社仏閣の桜と違って、決して華やかさはありませんが、
奈良・平安時代歌人や絵師の心を動かした桜とは、このようなものだったでしょうね。



尚、下記短歌三つと記事は、以前、この書庫で紹介したものです。



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「吹かずとも 峰の桜は散るものを こころ短き 春の山嵐





この短歌は、ある会社の社長が退任の決意をされた時に詠み人知らずで作家山本一力氏に渡したものです。

「峰の桜は、五年や十年の年月では育たない。花を咲かせるには、相当の年月がかかるだろう。
だからと言って散り時を間違えることはない。

散り際が見事だからこそ、桜は人の心を打つ。そしてまた、来年も見たいと思ってもらえる。」
そう言って、その翌日、退陣表明をなされたとの由。

この短歌と記事はは2005年4月17日日経文化欄に掲載されたものです。

07.04.01掲載





下記、二つの短歌は、私が桜を詠んだものです。



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「 伏す床で 空青き日は 花夢見 風の音には 散るをいとしむ 」





              今年(2006年)の春に詠んだ短歌です。
              写真は、水無瀬の山の山桜です。

              桜も、紅葉も、想いは同じです。    
                              06.12.28掲載






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「桜実の 愛でられること なかりせば こむらさきにて 消え行くものを」



女性の華やかなりし時代。それは青春。恋と激しい愛。
その青春時代のつややかな私と言う花が、あっと言う間に散ってしまったのですね。


そして今、咲いた青春の時よりも、心は紅く燃えてはいるのですが、
一瞬という時間が経過すれば、もはや、誰も振り向いてはくれませんね。
このまま、これで終わるのでしょうね。


そう思っていました。
だけど、初対面の今日のあなたは、この、老いた私を美しい!と仰る!


                            07.05.18掲載





追記)この写真を撮りましたのが、若山神社・尺代の里に行った日の丁度午後五時。
京都府側の楊谷寺の梵鐘が、山々に静かに響き渡りました。


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他方、山桜の他に、道路沿いの藪の中には山つつじがポツンポツンと咲いていました。