ヤマメの渓流と小鮒釣りしかの川

私の履歴書
ヤマメの渓流と小鮒釣りしかの川

〈ヤマメの味噌煮での昼食〉
下川大内小学校5年の時と思いますが(S31年:1956)日曜日の朝から正一君の家に遊びに行きました。
そして彼と共に、三角網とバケツを持って山の沢に入りました。
注)彼の自宅は、松本須山バス停近くの橋を渡った左側(東側)。

三角網とは、柄の無いタモ網を大きくしたようなものです。
入り口が半円形で、弓に網の袋を着けたもので長さが1m程。

これを沢の途中に仕掛けて、上流をかき回すと、驚いた魚は逃げて網の中へ。
体長15~20cmのヤマメです。

二十匹程獲った頃に、山間の谷間の向こうから、微かに昼のサイレンが聞こえましたね。
私、お昼には、自宅に帰る事になっていますから、お袋は心配しているかも?

そう一瞬思いましたが、直ぐに消えました。何せ、夢中でしたからね。
正一君の家に帰って来た時は、とうに一時を回っていました。そして畑に行き、じゃがいも掘り。

正一君の中学のお姉さんが、囲炉裏に大きな鉄鍋をかけて待っています。
それに、掘ったじゃがいもと、さばいたヤマメを入れました。味噌炊きです。

囲炉裏の煙に目を真っ赤にしながら、煮えるのを待ちました。
美味しかったですね。特に、この頃は、他人の家で食べると!

夕方、帰宅。案の定、お袋が目を吊り上げていて、いきなり『ゴツン!』と一発!

「何処へ行っていた!?」
「正一君とこ」
「昼ごはんも食べないで!」
「正一君ちで食べたよ」
「あそこの家は、あんたにご飯を食べさせることは出来ないよ!」

当たっている!。当時は、まだまだ貧しく、弁当を持って来れない子が結構いましたからね。
正一君の家でも、畳の部屋はありませんでした。布団は全部、わら布団でした。


《勝利君ちでの昼食》

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日曜日、勝利君の家に遊びに行きました。
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その時のお昼御飯は、囲炉裏に大きな鉄の鍋をかけて中にはうどんと野菜などのごった煮。
味付けは味噌。
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その囲炉裏をお祖父さんお祖母さんも一緒に囲んで鍋のごった煮をおたまですくってお椀で食べるのです。

美味しかったですね。
この頃は何故かよそさんちで食べると美味しい!

味が濃いのです。
農家で代々伝わってきた味付けなのでしょうね。


〈帰ってきた小鮒〉

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早朝や夕方には、近くの川(芋川)に釣りに行きました。
(釣り場は地図の下方緑の▲の位置)
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下川大内小学校(現、大内中学校)の裏手の川は淵になっており、絶好の場所。
当時、木造の橋がかかっていて(今は無い)、それを渡って。

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(写真が見つかりましたので、ここに掲載します。2012.08.22)
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川が芋川。
手前が上流。
右の道路の右側には並木があり、下川大内小学校の校庭の桜。
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向うの木造橋(今は無い)を右から渡って、その奥の淵が私の釣り場。


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或る日の事、浮きがピクッと引いたので竿を急いで揚げました。
ところが、糸がプツンと切れて浮きごと流れていったのです。お小遣いが減る~!

それから数日後、新しく買った浮きで竿を垂れていましたら、向こうから、見覚えのある浮きが
しずしずとこちらに向かってくるではありませんか。

一瞬、きつねか狸に騙されていると思いましたね。その浮きを、竿でたぐると、その浮きの先の糸には、小鮒が付いていたのです。数日間、針をくわえ、浮きを引っ張って泳いでいたのでした。


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写真は、小学校唱歌「ふるさと」の中でいう「小鮒釣りしかの川」ですね。2004.10.24撮影

秋田・栗駒山の麓・西成瀬村(増田町:現在横手市)で育った漫画「釣りきち三平」の作者:矢口高雄さんが渓流釣りをして遊んだのは、これから十数年後のようです。


尚、水無瀬の渓流を散策しますと、当時のヤマメ獲りを思い出しますし、三川合流地に行きますと、小鮒釣りを思い出しますよ。

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参考)水無瀬渓谷



追記)同日pm:8:00)説明が足りないようでしたので追記します。

①ヤマメの網獲りは、雨の少ない時期で数日間降っていない時です。
その場合、奥地の渓流は、水枯れで、段ごと、畳一~三枚前後の水溜りになるのです。
つまり、ヤマメの逃げ場所が無くなるのですよ。

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参考)水無瀬渓谷

②小鮒の浮きの件、へら鮒の釣堀では、皆さん、経験していると思いますよ。
川の場合、毎日のように行ったら、このような現象に遭遇するでしょう。