上野で初めて乞食を見た時
私の履歴書⑲ |
先ずは、競争に勝たなければならないのです。当時、座席指定や特急は無かったですからね。
開いた窓から、残る長兄が乗り込みます。戦後のフイルムで良く見かける光景そのまんま。
これでも、座席六つを確保出来ない時があるのです。その時は、通路に新聞紙を敷いて寝ます。
この方が下手に四人掛けの座席にいるよりも楽でしたね。何しろ、座席は狭かったですから。
これでも、座席六つを確保出来ない時があるのです。その時は、通路に新聞紙を敷いて寝ます。
この方が下手に四人掛けの座席にいるよりも楽でしたね。何しろ、座席は狭かったですから。
これと同じ座席形式が、十年程前まで、東海道線でも走っていましたね。ボデーの色は、褐色、褐色と緑で、座席が四人掛けです。
あとは、その時の写真を見ても、思い出せません。
半分、眠っていたのでしょうね。
無論、帰りの上野駅でも、発車の数時間前から並びました。
(写真は、中の列、左のバスガイドさんの隣が次兄・私・姉・母。後列、真ん中が父、右端が長兄)