冬休みの宿題

私の履歴書
〈父の面子〉
小学校六年(1957年:昭和32年)の冬休みの宿題の一つに、工作がありました。
私は、木炭入れの箱を板で作る事にしました。 (幅50cm×奥行き30×高さ40程に取っ手が付く)

イメージ 1通常、箱に炭をいれるのですが、炭の粉が下に溜まります。

それで底に、金網を敷いて、更にその下に、炭の粉を受ける引き出しを付けるのです。

家の前でかんなをかけたり、鋸を引いたりしていると、四年生の時の担任のS先生がやって来ました。

この先生が私に言いました。「ぶっつけ大工か!」

意味が分からないから、夜に親父に聞きました。「ぶっつけ大工って、どういう意味?」。
親父の顔色が一瞬変わりましたが、その時は、気にも留めませんでした。

冬休みも、残るは、二日。だが、私の炭入れは、依然と形にもなっていないのです。
他の宿題も残っています。

親父が、怒りまして、突然、殴りかかって来た!。ボコボコッ。倒されて猶もボコボコ。こりゃ、たまらん! 倒れた私は、足で必死に更なる攻撃を防ぎました。後のモハメッド・アリと猪木の試合もどき。

親父は呆れて、ここで止めましたね。助かった! でも頭のこぶは、二桁。それからの親父は、黙って、鋸とかんなで炭箱を作り始めました。翌日には完成。「これ、持って行け!」と言うのです。

間も無く冬休みが終わってそれを工作の宿題として学校に持って行ったのですが----。
誰が見ても、私の作ではなく、親父の作。見え見え。何しろ、親父はプロ級。恥ずかしかった!!


尚、モハメッド・アリと猪木の試合もどきを、次兄が傍で見ていましたので会う度にこれで大笑い!


追記)2011.11.26
イメージ 2
この時作った木炭入れの箱が田舎の小屋で見つかりましたので写真を掲載します。
完成日は、1958年(s33年)1月19日と記入されていました。