戦後のナマオケ場は囲炉裏端

私の履歴書・21
この頃(小学校4年~6年:昭和33年~35年)は、月間マンガ誌「少年画報」と「少年」が楽しみでしたね。毎月、毎月、その日を未だか!未だか!と待ちました。私は、「鉄腕アトム」よりも「鉄人28号」の方が好きでした。

他方、NHKラジオでの「新諸国物語・紅孔雀」「赤胴鈴之助」「新諸国物語・笛吹童子」。
毎夕、聴く前に、心、躍らせながら待つのですが、この放送の時に限って、ガ~ガ~と良く聞き取れないのです。

この時は、懸命にラジオに、耳をくっつけて聴くのです。
聴き終わってからも、次はどうなるだろう?と心が躍りましたね。

(参考)赤胴鈴之助の歌 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/akadousuzunosuke.html
NHKラジオで、その他に記憶あるのが「一丁目一番地」ですね。
銭湯が空になったという「君の名は」は、聴いた覚えが全くありません。


それと、昭和20年代から30年代前半、我家の囲炉裏端は、毎夜のように来客と酒と歌でしたね。

まあ、次から次へと大人の人達は唄ったものですね。度々、私も混じって。
今、カラオケが依然と流行っているのもうなずけます。昔の囲炉裏端がここに移動したのですね。

当時、最初に唄われたのが、りんごの唄 http://www.youtube.com/watch?v=brpoIacuVME
「りんごの気持ちは良く分かる、りんご、かわいや、かわいやりんご」ですね。

次が、題名を思い出せないですが「赤いビンドメがちょっと似合う」という歌詞。


これは「は~~げと、は~~げが喧嘩して、ドンドンパンパンドンパンパン、どちらも怪我(毛が)無くおさまった~」と唄いました。






その他、沢山あり過ぎて! つまり、良くぞまぁ、毎夜、飽きもせずに唄えたものですね。

本荘追分(下記サイトの無料視聴をクリック)
http://www.ongen.net/search_detail_track/track_id/tr0000223658/

秋田おばこ(下記サイトの無料視聴をクリック)
http://www.ongen.net/search_detail_track/track_id/tr0000223657/

その他、秋田の民謡無料視聴(下記サイト下段一覧表の無料視聴をクリック)
http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000044814/



喜びも悲しみも幾歳月
http://www.youtube.com/watch?v=u7ZA2Sqb88M

月がとっても青いから
http://www.youtube.com/watch?v=WEosA1vsdgU



この「白い花の咲く頃」は、戦時中、余りにも甘すぎると言う事で、唄うのを禁止されていたそうです。でも、この歌と「喜びも悲しみも幾歳月」は、当時から大好きで、歌詞もよく暗記していないのに、創作歌詞で歌っていましたよ。(実は、暗記力が無いのですから、でたらめ歌)

尚、今日、実は、同級生の英子さんの事を書こうと思いましたが、はずみで、この記事となってしまいました。