戦後のナマオケ場は囲炉裏端
私の履歴書・21 |
この時は、懸命にラジオに、耳をくっつけて聴くのです。
聴き終わってからも、次はどうなるだろう?と心が躍りましたね。
聴き終わってからも、次はどうなるだろう?と心が躍りましたね。
(参考)赤胴鈴之助の歌 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/akadousuzunosuke.html
NHKラジオで、その他に記憶あるのが「一丁目一番地」ですね。
銭湯が空になったという「君の名は」は、聴いた覚えが全くありません。
NHKラジオで、その他に記憶あるのが「一丁目一番地」ですね。
銭湯が空になったという「君の名は」は、聴いた覚えが全くありません。
それと、昭和20年代から30年代前半、我家の囲炉裏端は、毎夜のように来客と酒と歌でしたね。
まあ、次から次へと大人の人達は唄ったものですね。度々、私も混じって。
今、カラオケが依然と流行っているのもうなずけます。昔の囲炉裏端がここに移動したのですね。
今、カラオケが依然と流行っているのもうなずけます。昔の囲炉裏端がここに移動したのですね。
次が、題名を思い出せないですが「赤いビンドメがちょっと似合う」という歌詞。
子供でも唄ったのが、ドンパン節 http://www.city.daisen.akita.jp/content/nakasen/rekisi/donpan/uta.html
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/donpanbushi.html
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/donpanbushi.html
これは「は~~げと、は~~げが喧嘩して、ドンドンパンパンドンパンパン、どちらも怪我(毛が)無くおさまった~」と唄いました。
その他、沢山あり過ぎて! つまり、良くぞまぁ、毎夜、飽きもせずに唄えたものですね。
この「白い花の咲く頃」は、戦時中、余りにも甘すぎると言う事で、唄うのを禁止されていたそうです。でも、この歌と「喜びも悲しみも幾歳月」は、当時から大好きで、歌詞もよく暗記していないのに、創作歌詞で歌っていましたよ。(実は、暗記力が無いのですから、でたらめ歌)
尚、今日、実は、同級生の英子さんの事を書こうと思いましたが、はずみで、この記事となってしまいました。