まぶしかった少女
私の履歴書・22 |
6年生(1957年:s32年)の昼休み時間に階段の近くにいると、「キャッ!」と言う同級生の英子さんの悲鳴です。駆けつけると階段の途中で、英子さんは、下級生の男の子にスカートをめくられています!
こりゃ、一大事。早速、駆け降り、男の子の頭を上からガツンと叩きました。
その時、誰かが、鋭い細目で下から私を睨んでいる視線を感じました。
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四年生の時の担任のS先生です。ただでさえ、黙っていても、不平不満の顔をしているS先生。(この写真がそっくりでびっくりしました)
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四年生の時の担任のS先生です。ただでさえ、黙っていても、不平不満の顔をしているS先生。(この写真がそっくりでびっくりしました)
その時は、それに更に角が生えた顔をしていましたから、こりゃ、拙い。叩いたのを見られた。
私は、その場を直ぐに去ろうと、足早に階段を降り、廊下を歩いて体育館に向かいました。背後に、S先生の私の名前を何度も呼ぶ声を無視してね。
S先生は、体育館まで来た私に追い着き、何かわめきました。下級生いじめがどうのこうの。私は、何も、答えなかっですね。黙っていたら、バシッ!バシッツ!と往復ビンタを張られました。
まさか、好きな英子さんのピンチを救う!なんて、言えるはず、ないですからね。恥ずかしくて。
〈英子さんの浴衣姿〉
或る日の夜、何かの用事で、健君と共に英子さんの家に行きました。英子さんは、離れ座敷でもう寝ていると言うのです。真っ暗な庭を通って行くと、雨戸の隙間から木漏れ日。未だ電気が点いていたのです。
或る日の夜、何かの用事で、健君と共に英子さんの家に行きました。英子さんは、離れ座敷でもう寝ていると言うのです。真っ暗な庭を通って行くと、雨戸の隙間から木漏れ日。未だ電気が点いていたのです。
「英子さん」と小さな声で呼びました。英子さんは、木の雨戸を開けて、浴衣姿で出てきました。
裸電球を後光に目の前のベランダに立つ浴衣姿の英子さん。逆光ですからね。
裸電球を後光に目の前のベランダに立つ浴衣姿の英子さん。逆光ですからね。
暗い庭から見上げますと、少女ではなく、何歳か年上の女性に見えました。白地に赤い模様の浴衣。
〈村の噂〉
このことで、当時の村の大人達の噂話の光景と意味が分かりました。夜這いです。
この地方では、当時、若い未婚の女性は離れに一人で就寝したようです。
このことで、当時の村の大人達の噂話の光景と意味が分かりました。夜這いです。
この地方では、当時、若い未婚の女性は離れに一人で就寝したようです。
男が雨戸をこっそり開けるのに、おしっこを戸滑りに流したとか。偶々、進入した夜、娘さんではなく、風邪気味のお婆さんが、一人で真っ暗な離れの部屋で寝ており、知らずに布団にもぐりこんでしまったとか。
これまでの私のブログで掲載している古の和歌も、このような離れで詠んだのでしょう。
(掲載した和歌)
「待つ宵の 更け行く鐘の声聞かば 帰る朝の鳥はものかは」 待宵の小侍従
「ながからむ 心も知らず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ」 待賢門院 堀河 百人一首第80番
(追記)参考
『農村の掟「夜這いの風習」は今も残っているのか?』
日刊SPA! 2013年09月19日
https://nikkan-spa.jp/496378
「伝統的な夜這いは、私が知っている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのがほぼ最後でしょう。日本では今ではほとんどみられなくなりましたが、昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくありません」
『農村の掟「夜這いの風習」は今も残っているのか?』
日刊SPA! 2013年09月19日
https://nikkan-spa.jp/496378
「伝統的な夜這いは、私が知っている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのがほぼ最後でしょう。日本では今ではほとんどみられなくなりましたが、昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくありません」
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